紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 287

栗原・75高清水宿下町〜中町


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栗原

75高清水宿・下町

透川を渡ると、旧奥州街道75番目の宿場・高清水宿下町となる。

高清水宿は、南から下町、本町、中町、新町となっており、
本町に肝入屋敷や札場が、中町には本陣泪屋、新町に検断屋敷があったというが、
その痕跡はわからなかった。



神社参道

下町の入口左側に石碑と未舗装の参道があった、

写真左の右側石碑は「先祖代々菩提」と刻まれた碑で、
左側は享保20年(1735年)建立の「南無阿弥陀仏」と刻まれた六字名号板碑だ。

右写真は、参道奥にある赤い鳥居で、その奥に小さな祠が建てられてあった。
額束(がくつか)の長い、特異な形の鳥居である。



龍泉寺跡

祠の右側に「史蹟 白馬山龍泉寺跡」と刻まれた標石と墓標が並べてあった。
ここに寺があり、その跡に神社が建てられたようだ。

この龍泉寺の北側にある牟良佐喜(むらさき)神社は、
京都の紫野から分座したという古社である。
この神社の裏側には小山下清水があり、小公園となっている。



高清水宿・中町

左側に高清水中町のバス停がある。
この辺が、高清水宿の中心であったようだ。

正面の火の見櫓の傍に、「史跡明治天皇御休憩所 中町」と書かれた標識があった。
ここに本陣があったようだ。

その先の信号は中町交差点である。
信号を右に曲がると高清水中学校があり、もと高清水城のあったところだ。

戦国大名の大崎氏の城であったが、秀吉の奥州仕置きによって大崎氏が改易されると、
木村氏が新領主となり、その後亘理氏、石母田氏が城主となっている。


(宮城県栗原市高清水下町、本町、中町)
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歩行略図
栗原市境〜75高清水宿〜築館蟹沢



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