紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 304

栗原・築館城生野〜伊治城跡


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栗原


城生野集落

照明寺を出るとの、築館城生野(じょうの)の集落となる。
道路を挟んで左側の字名が要害で、右側は大堀となっている。



伊治城跡

右にカーブしているところの道の右側が、伊治(これはる、これはりとも)城跡だ。
広大な伊治城の外郭の北辺に当たるところである。

伊治城の城跡は東西700m、南北900mの規模で、
全体を土塁と大溝が取り巻いていたようだ。

この辺の字名は「大堀」であるが、伊治城の大溝からきているのであろうか。
また、伊治(これはる、これはり)が転訛して栗原(くりはら)郡となり、
現在の栗原市となっている。


伊治城外郭北辺土塁跡
  「伊治城外郭北辺土塁跡及び大溝跡」と書かれた標柱が建っていた。
  伊治城の外郭は土塁と大溝(おおみぞ)によって区画されていた。現在でも、この場所より東側に約150mにわたって当時の面影を留めているところだ。  

背後の建物は「築館町出土文化財管理センター」で、出土した遺物の他、
松森明心氏によって採集された考古資料「松森コレクション」が収蔵、展示されている。

コレクションの大部分が大正初期に伊治城跡から出土したものである。

  
富野小
  正面に真新しい富野小学校が見えてきた。字名は城生野北田沖となっている。
  ここで、旧街道歩きは左折となる。


城生野北田沖

富野小学校のところからは砂利道となっている。
左前方に栗駒山の臨む快適な道だ。

正面の土手は、芋埣川(いもぞねがわ)と二迫川(にのはさまがわ)の合流点である。


(宮城県栗原市築館城生野)
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歩行略図
築館77宮野宿〜伊治城跡〜78沢辺宿



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