紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 308

栗原・金成姉歯〜沢辺


Hitosh



栗原金成


金成姉歯

金成姉歯の門屋敷前に建っている三界萬霊供養塔である。

江戸時代後期の享保、天明、天保は近世の三大飢饉といわれ、
特に天明6年(1786年)の餓死者は沢辺だけで55人であった。
同7年23人、同8年61人、同9年19人、10年10人となっている。

この数字は全慶寺の過去帳に記載されたものだけとのことだ。

なお、姉歯地区名は、ここより東2700mのところにある「姉歯の松」に由来する。
伊勢物語記に「あがあねのはか松」とあるようだ。
都への途中、ここで姉が亡くなり埋葬して松を植えたとの伝承である。


三界萬霊供養塔
  説明板の左にある三界萬霊供養塔である。 文化15年(1818)の33回忌に供養のため、姉歯馬場屋敷の菅原三郎兵衛が建立したものだ。
  深く刻まれた文字のため、今でもはっきりと読むことができる。


国道4号線合流点

金成姉歯の集落を抜けると、旧街道は国道4号線と合流する。


国道4号線
  国道4号線を北上していると、右側に「金成女神」と書かれた派手な看板があった。パチンコ屋のようだ。
  金成(かんなり)とは、何んとも嬉しくなるような地名だ。金成は金売吉次の郷里で、どうやら奥州藤原氏の黄金伝説に因む地名のようだ。   


金成沢辺

国道左側に残されている旧街道。
わずか500m程であるが、街道歩きにとっては嬉しい区間だ。

もうすぐで、旧奥州街道78番目の宿場・沢辺宿である。


(宮城県栗原市金成姉歯、金成沢辺)
1011/1105

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます


前へ 目次 次へ


歩行略図
築館77宮野宿〜伊治城跡〜78沢辺宿



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system