紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 309

栗原・金成〜78沢辺宿


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栗原金成


金成沢辺

国道を4号線を横断すると、右前方に旧奥州街道78番目の宿場沢辺宿が見えてきた。


旧達田橋
  三迫川(さんはさまがわ)に架かる旧達田橋(たつだばし)を渡る。左側にある国道4号線の橋も達田橋となっている。  


三迫川下流

三迫川に架かる旧達田橋より下流を見た写真である。
川の左岸沿いが沢辺宿となっている(写真左側)。

栗駒山(1627m)の三つの峡谷を源流とする川で、迫川の3支流である一迫川、
二迫川と続き、この川が最後の三迫川である。

この「はさま」は、山と山の間の意味の峡(はざま)からとの説の他に、
奈良時代から平安時代初期の長い間、この川が大和朝廷と蝦夷勢力との
挟間、境界線であったことから名付けられたとの説もあるようだ。



三迫川河川敷、臥牛館跡

三迫川の河川敷が、小公園となっている。
ここで、休憩させていただく。

正面の小高い丘はかつての臥牛館(沢辺城)跡で、
今は臥牛館(がぎゅうだて)公園となっている。

正治年間(1199〜1201年)、葛西氏家臣の二階堂刑部常信によって築かれたという。
天正18年(1590年)の奥州仕置により、葛西氏が改易となり、
その後は伊達氏の家臣小野寺氏3代がここに居館を構えたとのことだ。

本丸跡は、今は八幡神社となっている。



78沢辺宿

三迫川に架かる達田橋を渡り、右折すると旧奥州街道78番目の宿場・沢辺宿となる。
三迫川左岸(東西)に細長く延びた典型的な宿場町である。


(宮城県栗原市金成沢辺)
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歩行略図
築館77宮野宿〜伊治城跡〜78沢辺宿



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