紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 317
栗原・金成有壁〜JR有壁駅
Hitosh
旧奥州街道 |
前方にJR東北本線の踏切が見えてきた。 この手前の道を右に曲がると熊口五輪塔(有壁五輪沢経塚)のあるところだ。 「歴史とロマンの町、金成町教育委員会」と書かれた案内標識が、道角に設けられてあった。 熊口五輪塔は有壁熊口にある藤原秀衡 の家臣、照井太郎高直一族の供養塔だ。 高直は、文治5年(1189年)、平泉平定の頼朝を迎えた時に討ち死している。 その妻子が落人としてここまで来て、夫の菩提を弔うために積石塚を作り、 その上に五輪塔を建てたのが始まりとのことだ。 |
東北本線踏切 街道を横断するように東北本線の踏切がある。仙台を出て、久しぶりにJR東北本線との再会である。 旧奥州街道は、仙台からはここ有壁までは東北本線から離れており、バス便しかなかった。(途中、東北新幹線と陸羽東線の古川駅があるのみ) |
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JR有壁駅 踏切の左側に有壁駅がある。もとは3線であったが、中央の線路は撤去されている。 JR石越駅と一関駅間は、宮城(石越駅)、岩手(油島、花泉、清水原駅)、宮城(有壁駅)、そして岩手(一関駅)と3回県境を越える全国でも珍しい区間となっている。 |
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JR有壁駅駅舎 有壁駅に行って見た。平成2年に元の大きな木造の駅舎は取り壊され、今はコンパクトな駅舎(無人駅)となっていた。 有壁駅は大正13年開業、東京より437.8kmである。 駅には、「時代散歩 第81番宿場 旧奥州街道 有壁宿」と書かれた幟が2本たっていた。 |
有壁駅前通り |
有壁駅の正面の通りである。 この辺の標高は76mであった。 前方に見える丘陵を越えると、次の宿場一関となる。 左側の建物は、旅館(佐藤旅館)だ。 その右隣は「河北新報」と書かれた看板を掲げた新聞取扱店である。 この河北新報は、本社仙台にある東北地方のブロック紙で、 発行部数は48万部である。 河北の意味は、明治維新の際、薩長から「白河以北一山百文」と蔑視されたことにより、 東北の意地を見せるべく敢えてネーミングしたとのことだ。 |
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