紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 327

一関城下・台町祥雲寺


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一関城下

祥雲寺本堂

参道の長い階段を上りきると、正面に臨済宗妙心寺派大慈山祥雲寺の本堂がある。
祥雲寺は一関藩3万石の藩主、田村家の菩提寺である。

田村宗良が宮城県岩沼の北長谷に建立した長谷山大慈寺が前身で、
その子の田村建顕が天和2年(1682年)、岩沼から一関に移封されたときに、
この寺も一緒に移した。

その時、建顕の祖母房姫(祥雲院、仙台藩2代伊達忠宗側室)を開基として、
建顕の祖父である伊達忠宗の法名大慈院から大慈山祥雲寺と改めた。


建部清庵顕彰碑
  祥雲寺境内にある一関藩医・建部(たてべ)清庵の顕彰碑である。
  享保元年(1748年)江戸で和蘭医学を究め、寛延元年(1748年)家督を相続する。施薬調合の良法を研究し、「民間備荒禄」、「備荒草木図」他を著す。
  顕彰碑は、昭和15年に西磐井郡医師会が建立したものだ。その他、和算家千葉胤秀(たねひで)の顕彰碑も建てられてあった。  
豊谷寺墓石搭
  豊谷寺は江戸初期の一関領主の菩提所で今は廃寺となっている。
  仙台藩主第4代綱村の後見役となり、一関地方3万石を領有した伊達兵部の菩提所であった。
  ところが、伊達騒動で兵部は土佐に配流されてから、寺は衰退してしまった。後になって、豊谷寺跡にあった兵部一族や家臣の墓石が集められたものだ。
保性院殿廟
  岩手県指定史跡の保性院殿廟だ。中に伊達兵部の母、保性院の木造が安置されている。本廟は寛文9年(1669年)伊達兵部により造営されたものだ。
祥雲寺一切経蔵
  一切経蔵は、文政11年(1828年)に建立された。内陣中央に八角形の転輪経蔵が据えられており、引出箱には一切経6171巻が収められている。
  一関市文化財に指定されている。

(岩手県一関市台町)
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歩行略図
80有壁宿〜岩手県境〜一関城址〜JR一ノ関駅



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