紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 328
一関城下・台町〜宮坂町
Hitosh
田村家墓所 |
祥雲寺の裏手に山の上に一関藩主、田村家代々の墓所がある。 元和元年(1681年)、田村建顕(たちあき)は岩沼から一関に所替えを命じられ、 翌2年(1682年)一関に入部、西磐井11村、流れ15村、東山12村、 栗原郡2村の総石高3万石を所領し、城下町を建設した。 田村氏は、釣山下(現裁判所辺)に居館を置き、領内を統治。 以来、一関藩は明治維新まで約190年間続いた。 |
願成寺山門 |
祥雲寺の北側にある願成寺山門である。 曹洞宗白馬山願成寺は至徳2年(1385年)の創建。 開基は新山城主従四位少将兼上野守竹内興田盛輔卿と伝えられている。 |
願成寺本堂 重厚な山門を潜ると、正面に本堂がある。境内には伊達騒動で知られる伊達兵部宗勝とその一族の墓がある。 その他、一関藩校教成館初代学頭の関養軒や、一関の豪商である菅原、磐根、熊文家等の墓がある。 |
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三力士墓碑 願成寺墓所にある力士秀ノ山雷五郎、一力長五郎、男山三五郎の墓石である。 秀ノ山は、文化5年(1808年)本吉郡最知村生まれの力士で、弘化2年(1845年)第9代横綱だ。 一力は、幕末の茨城出身の力士で前頭筆頭、男山は栗原郡荻野村出身の力士で、函館で巡業中に死亡したとのことだ。 |
宮坂町町並み |
願成寺から、旧街道に復帰する。 宮坂町の町並みで、JR一ノ関駅が大分近くになってきた。 正面の山は、一関の北側にある経塚山(519m)、音羽山(539m)、 東稲山(596m)等の山並である。 この先の信号は新大町交差点である。 その手前の道を左折して、八幡神社から一関城址に向かう。 |
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