紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 329

一関城下・宮坂町〜釣山


Hitosh



一関城下
八幡神社参道
  旧奥州街道街道宮坂町の左側に八幡神社参道がある。釣山の山麓で、階段を上ったところが八幡神社である。
  釣山は、かつて一関城があったところで、今は釣山公園となっている。
八幡神社拝殿
  一関八幡神社は、康平4年(1061年)源頼義が阿部貞任征伐のため篠見山に出陣、合戦の勝利を祈願した八幡宮を勧請したのが始まりで、寛文2年(1662年)に伊達兵部宗勝が現在地に遷座した。
  祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、坂上田村麻呂、坂上輝定である。
竹駒神社
  境内社の竹駒神社。五穀豊穣、商売繁盛の神だ。
  竹駒神社は宮城県岩沼にある三大稲荷の一つといわれる神社だ。その他、古岑神社、金峰山の石柱が鎮座してあった。
八幡神社手洗水鉢
  元禄10年(1697年)、一関藩主田村建顕が幕府より作州津山城受け取りの上使を命じられた。
  この手洗水鉢は、無事その大任を果たした時に、家中一同祈願成就を祝い、翌11年(1698年)に八幡神社社殿前に奉納されたものである。


釣山

八幡神社から釣山の坂道を登る。
写真の左上が、今は釣山公園となっているが、かつての一関城があった処である。

釣山は古代から軍事上の要塞であり、篠見山とも呼ばれていた。

古くは坂上田村麻呂が陣地をはり、安倍貞任の弟磐井五郎家任が砦を築き、
源頼義・義家親子もここに陣地を張った。


(岩手県一関市宮坂町、釣山)
1012/1106

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます


前へ 目次 次へ


歩行略図
80有壁宿〜岩手県境〜一関城址〜JR一ノ関駅



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system