紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 330

一関・釣山〜一関城址


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一関城跡

一関城址

一関城跡である。
この辺一体は、今は釣山公園として整備され、春の桜、秋の紅葉の名所となっている。

釣山は、古くから軍事上の要塞で、高崎城とも篠見山とも呼ばれてきた。

古くは、
     征夷大将軍、坂上田村麻呂の陣地(大同年間)、
     安倍貞任の弟磐井五郎家任(いえとう)の砦(天喜年間)、
     源頼義、義家親子の篠見山の陣地(康平年間)、
     葛西氏家臣小野寺道照(どうしょう)の居城(天正年間)
であった。

葛西氏の滅亡で、伊達氏の支配となり、政宗の叔父・伊達政景が入り、
江戸時代になって仙台藩のうち3万石が分封され、最初の藩主は
政宗の10男の伊達兵部宗勝であったが、伊達騒動(寛文事件)で、土佐に配流となり、
そのあと岩沼から伊達家分家の田村建顕(たつあき)が入封し、幕末まで11代続いた。

なお、田村氏の居館はここではなく、釣山の麓で、現在裁判所のあるところであった。

また、写真の石碑は幕末、明治初期の郷土の教学・政治刷新の功労者
森中和(もりちゅうか、包荒(ほうこう)先生)の遺徳碑である。
岩手師範学校(現岩手大学)の校長を就任していた人だ。



一関城址、釣山公園
  訪問したのは12月の初旬であったが、紅葉が見頃であった。
  この急な坂を上ると、頂上は千畳敷と呼ばれる平坦地となっており、その下には日本庭園などが公園として整備されている。


一関市街

一関城址より東側の一関市街(田村領)を見下ろした写真である。
正面奥がJR一ノ関駅である。

一関の地名は前九年の役に、関塞(関所)を設置したからと言う説と、
用水堰を開削したことによる説とあるようだ。

もと西磐井郡一関町で、昭和23年に同郡山目町及び、中里、真滝
2村と合併し市となった。

山目町は、かつて旧奥州街道の82番目の宿場のあったところである。



磐井川

釣山より北側(仙台領)を見た写真である。

下を流れている川は北上川支流の磐井川である。
磐井川の上流は名勝天然記念物に指定されている「厳美(げんび)渓」が知られている。

この磐井川を挟んで左側(西側、写真)は仙台藩領で、
右側(東側)の一ノ関駅側が田村領であった。



(岩手県一関市釣山)
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歩行略図
80有壁宿〜岩手県境〜一関城址〜JR一ノ関駅



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