紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 333
一関宿・田村町〜磐井川
Hitosh
世嬉の一酒造 |
一関の豪商「熊文」の跡地にある瀬嬉(せき)の一酒造鰍ナある。 大正7年に造られた、東北地方最大の土蔵である仕込み蔵を利用して 酒の民族文化博物館が開設されている。 また、酒と郷土料理が楽しめる蔵元レストランも併設している。 酒の他、自家製の地ビールもお勧めとか。 「世嬉の一」という変わった会社名は、大正時代「髭の宮様」として知られた 閑院宮戴仁親王がここに立ち寄った時に、世の人が喜ぶ酒を造りなさいと 言われたことからとのことだ。 それ以前は横谷酒造店であった。 でも、「せきのいち」は、どうみても「いちのせき」を捩ったもののようだ。 なお、「熊文」こと14代目熊谷文之助は味噌、醤油、清酒の醸造で財を成した人だ。 |
芭蕉二夜庵跡 芭蕉は磐井川の畔にあった金森家に元禄2年(1689年)5月12日の夕刻到着して、翌日平泉を巡り、再びここに戻り連泊している。 金森家は、芭蕉が2連泊したことから二夜庵と呼ばれるようになった。 |
芭蕉はこの後、迫街道で岩出山に向かっている。 一関は奥の細道の奥州路で最北の宿であった。 金森家は、代々造り酒屋を営んできた一関きっての大地主であった。 明治天皇も東北巡幸の際、ここで休憩されたとのこと。 |
磐井川、上流側 |
芭蕉二夜庵跡の前を通り、磐井川に架かる磐井橋を渡る。 写真は磐井橋から上流を見たものだ。 正面の小高い丘が、釣山で一関城のあったところである。 |
磐井川下流側 |
磐井橋より下流を眺めた写真である。 磐井川は県境の栗駒山(1627m)の北麓を源流とし、途中渓谷厳美渓を造り、 一関市街の中心を流れ、この先で北上川に流入している川である。 |
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