紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 337

一関・山目町〜新町


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一関・山目宿

龍澤寺石塔群
  龍澤寺参道にある石塔群。左より、「正四位大槻玄澤先生顕彰碑」、「某供養碑」、そして「阿部隋波居士碑」である。  

大槻玄澤は、仙台藩支藩の一関藩藩医大槻玄梁の長子として
ここ中里(旧西磐井郡中里)に生まれた蘭学者であるる。

杉田玄白、前野良沢の弟子で、「玄澤」とは師である二人から
一字ずつ貰い受けてつけた通名で、本名は茂質(しげたか)である。
後に、仙台藩の藩医になっている。

阿部隋波は前述したように地元の豪商、鉱山師である。



JR山ノ目駅

街道右側に、JR東北本線の山ノ目駅がある。
昭和3年に開業した無人駅で、路線距離は東京駅より448.0kmである。

この駅名も、地名が山目であるが、一ノ関駅とおなじように駅名には「ノ」の字が入っている。


少名彦神社参道
  史跡標柱には「常世の穀霊、少名彦神社」と記されている。祭神は少名彦命(すくなひこのみこと)である。
  境内の掃除をしていた年配の小母さんに聞くと、ここでは「すくなひこさん」と呼んでいるようだ。  

少名彦神社拝殿

参道を進むと、右手に少名彦神社の拝殿がある。

祭神の少名彦命が気になり調べてみると、古事記で第八代孝元天皇の
第二皇子とされている少名日子建猪心命(すくなひこけたけいごころのみこと)の
ことであろうか。

それとも少彦名命(すくなひこなのみこと、少名毘古那神)であるなら、
神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子となる。
こちらであると、大国主神(おおくにぬしのかみ)と共に国造り、
国土の経営にあたった神となる。

その他、境内には牛頭観音菩薩、足尾神社、古峰山等々と刻まれた古い石塔が
沢山鎮座していた。


八雲神社
  山目町より新町に入ると、左手に八雲神社の参道がある。
  史跡標柱によると「五穀豊穣平安の八雲神社」と記されていた。宝暦年間(1751〜1763年)の創建と伝えられている。
  祭神はスサノオノミコト(素戔鳴尊)とカグチノミコト(遇突智尊)である。


(岩手県一関市山目町2、同3、中里、新町)
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歩行略図
81一関宿〜磐井川〜82山目宿〜JR平泉駅〜毛越寺



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