紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 341

平泉町・毛越寺


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平泉町

毛越寺本坊入口
  観自在王院跡の西側に隣接して毛越寺(もうつうじ)がある。写真は毛越寺の入口で、毛越寺本坊入口との木札が掛かっていた。
「夏草」英訳の句碑
  拝観料を払い、中に入ると松尾芭蕉英訳句碑があるのには驚いた。

  The summer grass ’Tis all that's left Of ancient warrior’ dream, Inazo Nitobe.
  と、刻まれてあった。
  英訳は岩手県生まれの教育学者、農学者の新渡戸稲造である。代表的著書に「武士道(Bushido)」がある。
  昭和42年、地元有志により建立されてものだ。


毛越寺境内

毛越寺は慈覚大師(円仁)を開祖として、藤原基衡により建立された天台宗の寺院で、
円隆寺や嘉祥寺(かしょうじ)を含む一山の総称である。

吾妻鏡には、藤原清衡が建てた中尊寺を凌ぐものと記され、
昭和29年からの発掘でそのことが明らかになった。

写真右手が毛越寺本堂である。

毛越寺本堂
  毛越寺一山十八坊の本坊。本尊は平安時代作の薬師如来、脇士は日光・月光両菩薩を安置している。


毛越寺、大泉が池

境内中央にある大泉が池には、中島・洲浜・築山・遣水(やりみず)などがあり、
平安時代の典型的な浄土式庭園遺構となっている。

奥州藤原氏時代の毛越寺は、円隆寺とその西側に遺構が残る嘉祥寺という
二つの伽藍を中心に構成されたいた。
  
嘉祥3年(850年)、東北を旅した円仁は濃霧のため前に進めなくなってしまった。
ふと足元を見ると、白鹿の毛が地面に点々と落ちていたので、
それを頼りに進むと、前方に白鹿がうずくまっている。

円仁が近づくと、鹿は消えて薬師如来の化身が現れ、ここに堂宇を建てよと告げたという。

こうして、白鹿の毛に導かれて建てられたことから、毛越寺(けごしでら、もうおつじ、
もうつうじと変化)と通称され、建立の年号から嘉祥寺と名付けられた。

一時、寺勢は衰えるが、奥州藤原氏時代に再興された。
やがて、藤原基衡が鳥羽院の命で造った本尊を安置し、円隆寺と改称し、
もとの本尊のために新たに建てたのを嘉祥寺としたようだ。



(岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢)
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歩行略図
81一関宿〜磐井川〜82山目宿〜JR平泉駅〜毛越寺



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