紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 343
平泉町・泉屋〜柳御所
Hitosh
伽羅御所跡 |
JR東北本線の踏切を渡ると、街道筋はかつての宿場を思わせるような家並みが 続いているが、江戸時代の平泉は宿場では無く、田畑や民家であった。 街道右側に伽羅御所跡と書かれた標柱が建っている。 この辺から右側北上川までが、藤原氏全盛期の三代秀衡と 最後の四代泰衡の居館があったところのようだ。 芭蕉が奥の細道で「秀衡が跡は田野となりて」と記しているところであろう。 |
柳之御所史跡公園 |
伽羅館跡の先を右折し、少し進むと、北上川の土手の手前に柳之御所史跡公園がある。 「吾妻鏡」の「寺搭巳下注文」に記されている秀衡の平泉館(ひらいずみのたち)のあったところである。 発掘調査が進められ、建物・道路等の遺構が確認され、広大な柳御所跡は、史跡公園として整備されている。 |
柳之御所遺跡 |
柳之御所遺跡は、平安時代末(12世紀)の居館跡で、 吾妻鏡に記載されている平泉館(ひらいずみのたち)に比定され、 奥州藤原氏の政務の場と考えられている。 継続的な発掘調査によって、堀、園池、掘立柱建物、便所、厩などの遺構や、 京都や海外との交流を示す土器や陶磁器などの遺物が多数発見されている。 |
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