紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 345
平泉町・高舘義経堂
Hitosh
頼三樹三郎詩碑 頼三樹三郎は幕末攘夷派の志士、儒学者で、頼三陽の3番目の子である。弘化3年(1846年)に、ここに訪れた時に詠んだ詩だ。 詩の内容は、この北上川を小船で遡ったときの平泉の落日の感動を詠んだものだ。藤原全盛期、義経主従や鎌倉との悲劇等を折り込み、歴史の浮き沈みの儚さと、自然の美しさを詩にしている。 なお、三樹三郎はのちの安政の大獄(1858年)で捉えられ、刑死している。 |
|
高舘義経堂階段 高舘のある丘陵の頂上に向かう階段だ。この上に高舘義経堂(たかだちぎけいどう)がある。 |
|
宝篋印搭 急な階段を上りきると、義経堂の横に宝篋印搭(ほうきょいんとう)が建てられている。 義経主従最期の地であるこの高舘に、藤原秀衡、源義経、武蔵坊弁慶800年の遠忌を期して供養のために建てられたものだ。 義経は享年わずか31歳であった。 |
|
高舘義経堂 義経は、文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられている。 写真の義経堂は、天和3年(1683年)、仙台藩主第4代伊達綱村が義経を偲んで建てたものだ。中には義経公の木像が安置されている。 |
|
木造義経像 義経堂の堂内に、本尊として祀られているのが、堂創建時に製作された木造の源義経像だ。 凛凛しい武者姿の像は、極めて綿密に作られている。木造は全身像であるが、光線の具合で上部のみを撮影した。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |