紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 348

平泉町・中尊寺弁慶堂〜観音堂


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平泉町

弁慶堂
  参道左側にある通称弁(辧)慶堂。文政9年(1826年)に再建されたもの。
  藤原時代五方鎮守のため、火伏の神として本尊軍地蔵菩薩を杞愛宕宮と称した傍に義経と弁慶の木造を安置したことから弁慶堂と呼ばれるようになった。


東物見より衣川

参道の途中から、右側の眺望が開けた。
東物見というようだ。

左から右に衣川、縦にJR東北本線と国道4号線バイパス、そして右側が北上川で、
右側に束稲山(たばしね、596m)が見える。


西行歌碑
  東物見の傍らに西行歌碑があった。

  「ききもせず たばしね山の さくら花
   よしののほかに かかるべしとは」

と刻まれてあった。束稲山は、今も桜の名所となっている。 
薬師堂
  明暦3年(1657年)に他所にあったものを移したもので、堂内には慈覚大師作と伝えられる薬師如来、脇侍として日光菩薩、月光菩薩が安置されている。
観音堂
  参道左側の山腹に観音堂があった。観世音菩薩の像を安置してある堂だ。
  観音堂は、観世音信仰の広がりから全国各地に建立されている。観世音の住むところは、南海補陀洛山(ふだらくせん)とのことから、多くは山の中腹や断崖の上、海岸の岬等に建立されているようだ。


(岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関)
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歩行略図
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