紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 352

平泉町・衣川〜奥州市・衣川区


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平泉町


衣川地蔵尊

衣川の土手の下に、常夜灯と大きな地蔵尊があった。
今は失われているが、その痕跡は分らないが、この辺が旧街道の道筋であったようだ。

衣川下流、衣川橋
  衣川の土手に上ると見晴らしが良くなる。写真は衣川下流側を見たものだ。
  正面の橋が、現在の衣川橋で、この先で北上川に合流している。背後の山が束稲山である。
  衣川は、奥州市の奥羽山脈高檜能山(927m)東麓を源流とする川で、上流側は北服川とも呼ばれている。


衣川上流

衣川橋より上流側を見た写真である。
この川の右側がかつての胆沢郡衣川村(現奥州市衣川区)で、
安倍一族の本拠地のあったところである。

衣川は、前述したように、平安時代までは蝦夷と
大和朝廷の勢力とを分ける境界線の川であった。



奥州市


瀬原集落

衣川に架かる衣川橋を渡ると、平泉町平泉衣関から奥州市衣川区となる。

正面に衣川区瀬原の集落が見えてきた。
瀬原は、江戸時代は間宿であったところだ。

写真中央正面に見える天守閣は岐阜城を模したもので、
衣川収蔵庫懐徳館(かいとくかん)となっている。

昭和45年の岩手国体の時、開催会場を持たない市町村に対して
交付された資金でもって当時の衣川村が建てたものだ。

1〜3階までは、衣川に伝わる遺物等を集めて展示し、4階が展望台となっている。
その左の立派な建物は、国民宿舎サンホテル衣川荘である。


衣川分岐
  次の瀬原交差点を左に曲がると瀬原集落となる。
  標識には直進 「国道4号線花巻、北上」方面で、左折は「衣川」となっている。その標識の下に、左折2kmで長者ヶ原廃寺跡方面と書いてある。 

長者ヶ原は、藤原秀衡の御用商人金売吉次の屋敷跡と伝承されてきたが、
昭和33年の発掘調査の結果、一辺約100mの築地塀や、門、堂宇跡が発見された。

寺院様式の壮大な建造物跡であることが確認された。
出土品より、奥州藤原氏の祖先、安倍氏が建立したものと見られている。


(岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関、奥州市衣川区押切、瀬原)
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歩行略図
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