紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 357
奥州市・前沢宿七日町
Hitosh
太田家 |
街道右側に一際大きな旧家、太田家がある。 主家(おもや)の外観、内部は和風建築であるが、小屋組、洋間、階段などの一部は 洋風となっている。 主家、表門、前座敷、炊場(たきば)は、日露戦争後の不況、大凶作と続く時代背景に、 材料・職人の殆どを地元で賄う救済事業の一つとして、 明治43年に5代当主太田幸五郎により建築された。 明治期に建てられた近代和風建築の民家として、 岩手県指定有形文化財第1号の指定を受けている。 初代から4代目までの当主は、幸蔵を名乗り、5代目から幸五郎と続くことから、 「太幸邸(だいこうてい)」とも呼ばれている。 なお、庭園の紅海は樹齢450年で、前沢町指定天然記念物に選ばれている。 |
霊桃寺 |
街道左側の北上川の河岸段丘の上にある宝林山霊桃寺(れいとうじ)である。 文永6年(1269年)、鎌倉の建長寺の第4世佛源大休正念禅師を勧請開山として迎え、 宝林山興化寺(ほうりんざんこうかじ)として、以前からあった北長谷漆寺を改めて 復興された寺だ。 天正年間(1573〜91年)に、前沢領主大内定綱の菩提所として、興化山宝林寺と改められた。 さらに、寛文6年(1661)に、前沢領主飯坂内匠頭宗章が16歳の若さで亡くなり、 その法名「霊桃院殿心巌恵空大禅定門」から霊桃寺と改名され今日に至っている。 |
霊桃寺本堂、庫裏 階段を上ると、霊桃寺の本堂と庫裏がある。奥羽三十三番の十八番札所となっている。 墓所には、高野長英の母美也(みや)の墓がある。 |
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稲荷大明神 霊桃寺に隣接してある鎮守社、稲荷大明神である。 |
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