紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 364
奥州市・水沢区真城〜山崎町
Hitosh
国道4号線分岐 |
国道歩きに飽いてきた頃に、県道佐倉真城線(226号線)と国道4号線の分岐点に着く。 ここからは、左側の県道を歩くことになる。 霧は晴れそうで、なかなか晴れなかった。 |
真城一里塚 |
分岐を左に曲がったところに左の民家の庭先に、真城の一里塚が残されている。 東側は道路の拡幅で無くなり、西側のみが残されている。 説明版(下写真)によると、この一里塚は仙台から30番目の塚で、 下伊澤郡須江(すえ)村に位置していたとのことだ。 下写真の右図は、元禄時代の水沢城下と奥州街道を描いたものだ。 |
森城山墓地 左側に「斎藤實、山崎為徳、原田甲斐の妻の墓所」と書かれた大きな道標があったので、急な段丘崖を登ってみると、目の前に広大な墓地が広がっていた。 手元の地図には森城山墓地と書かれてあった。 |
斎藤實墓地 |
右前方が斎藤實の墓標(山崎斎藤墓地)だ。 安政5年(1858年)水沢伊達氏家臣の子として生まれ、後海軍大将、朝鮮総督、 第30代内閣総理大臣となった人である。 そして、二・二六事件で青年将校に暗殺され、77歳の生涯を閉じた。 なお、山崎為徳と原田甲斐の妻の墓標はわからなかった。 山崎為徳は、安政4年に水沢伊達氏家臣の子として生まれた明治初期の 宗教家、神学者である。 東京大学の前身である開成学校に入り、のち新島襄の同志社に入った。 招かれて帰郷しプロテスタントの教えを説き、水沢にキリスト教を根付かせた人とのことだ。 |
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