紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 365
奥州市・84水沢宿
Hitosh
南町交差点 |
南町交差点で、ここで左折となる。 この辺が水沢宿(城下)の入口付近であったのであろう。 左折すると、袋町となり、江戸時代はここに大門(木戸)が設けられていた。 水沢宿は、南から袋町、横町、大町、柳町、立町、川口町と町屋の6町が置かれていた。 江戸時代の水沢は、水沢城(一国一城令により水沢要害と名称変更)に 仙台藩一門の伊達宗利が入り、以降明治維新に至るまで、水沢伊達氏の統治が続いた。 宗利は、城を中心に家臣団を配置し、奥州街道沿いには商家町として商人を集め、 その外側(東側)には寺院を集め寺町を形成させた。 |
袋町 |
南町の交差点を左折すると、袋町に入る。 水沢宿の南端の袋町町並みである。 如何にも商人の町らしい町名となっている。 左の木造の店舗は菊清材木店、そして菓子屋の松林堂のあるところだ。 |
八雲神社 街道右側の八雲神社入口に袋町と書かれた粋な纏が飾ってあった。 元は袋町の牛頭天王社で、安政6年(1859年)の水沢の大火で、現水沢公園にあった愛宕社も焼失し、神霊をここに納めたとのことだ。 |
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商家 木造の旧商家。右隣はアスカ医療経営コンサルティングと看板のかかった店舗で、左隣は岩手日日、朝日新聞の新聞取次店である。 |
常盤水路 |
旧街道から左折し、水沢公園に行く途中にある常盤水路(宮下川)だ。 水沢宿袋町の南側を東西に流れている水路である。 転落防止の為か、柵がものものしかった。 水沢は、北側を西から東に流れる胆沢川によって形成された、 胆沢扇状地の東端に位置し、南北に北上川が流れている。 水沢の地名の由来は、扇状地の扇端部地形に特徴的な湧水が 多かったことから付けられた地名であろう。 江戸時代、城下町の中に乙女川を筆頭に、小さな川が何本も流れ込み、 これを町割りや堀に利用するなどして街づくりが行なわれた。 写真の常盤水路もその一つである。 |
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