紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 367

奥州市・水沢宿宮下町〜横町



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奥州市・水沢宿


駒形神社

水沢公園の西端にある陸中一宮駒形神社。
祭神はオオヒルメノミコト他

胆沢郡金ヶ崎町と北上市和賀町の境に位置する駒ケ岳山頂にあった駒形神社奥宮を、
明治36年に現在地に移したもの。
なお、駒形神社は、明治4年の太政官布告により、県内唯一の国幣小社となっている。

ここにもともとあった塩竈神社は駒形神社の摂社となった。

江戸時代の駒形山頂は仙台藩と盛岡藩の藩境であったため、
駒形神社の社殿の建て替えは両藩が20年毎に交互に行なったという。

駒形神社は延喜式内社に記録されている古社だ。

なお、塩竈神社は寛永6年(1629年)に水沢の領主となった留守宗利(るすむねとし)が、
父政景が崇敬していた塩竈市の塩竈神社を勧請したと伝えられている。



宮下町

駒形神社から、宮下町を通り水沢宿横町に向かう。

左の木造の店舗は、中林米菓の看板が掲げてあった。
看板によると、せんべいの他、麹も扱っているようだ。



横町交差点

横町交差点の角にある小広場。
心字の街水沢と横町組町印(ちょうじるし)の説明板がある。

水沢は、旧奥州街道の宿駅の一つとして形成され、江戸時代から
宿場・火移動交通関係や魚網生産等の産業で発展してきた。

町の中心である水沢城と六町(川口町、立町、柳町、大町、横町、袋町)は、
防衛上の理由と繁栄の願いから「心」の字形を象って整備されたといわれている。

また、水沢の近世の歴史は、度々起きた大火との戦いの歴史でもあった。

留守宗景の時代、江戸の大火を契機に、水沢でも火消しの原形となる組織ができた。
その後、村景の時代、江戸の町火消組織に習い、六町に火消組が編成された。

各組の町印は、城主が火消組の印として六町にそれぞれ与えたといわれる。
「仁心火防定鎮(じんしんかぼうじょうちん)」の6文字の一字が、
町ごとに割り当てられた。

ここ横町は「定」である。

今、この町印は毎年行なわれる火防祭りの当日、六町組の先頭に並ぶ
大型のシンボルとなっている。



横町町並み

横町の町並みだ。

横町は、寛永年間の検地帳では、六町の中で最も多くの町屋があり、
安永5年(1776)の調べでも90軒を超えていた。

明治に入ってからも、老舗の多い商人の町として栄え、今もその面影である
商家の土蔵が何軒か残されている。

なお、横町の町名は、城から見て大町の横に連なる町であることから、
名付けられたようだ。


横町旧町屋
  横町の旧町屋の土蔵を利用した店の一つ。今は「ギャラリー茶房 蔵 再会」として利用されている。

(岩手県奥州市水沢区中上野町、宮下町、横町)
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歩行略図
奥州市水沢区・南町〜水沢宿〜胆沢城跡〜胆沢川



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