紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 369

奥州市・水沢宿大町〜立町



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奥州市・水沢宿

明治天皇行在所跡碑
  水沢宿の大町(おおまち)を進むと、左側に明治天皇行在所跡碑がある。東北巡幸の際、ここで休まれたようだ。今は普通の商家となっており当時の面影は全くなかった。
  大町には問屋場や検断があり、水沢を代表する商人たちが軒を並べていたところである。往時は、明治天皇が休める立派な屋敷があったのであろう。
大手枡形入口
  行在所跡のすぐ先に大手枡形入口の刻まれた石柱がある。ここから左に入ると、かっての水沢城の正面入口があった。
  今、城跡は奥州市役所となっているところである。  


乙女川先人館

街道左側に乙女川先人館ができている。

水沢区は、偉人が多く生まれた場所ということで、いろいろと記念館ができているが、
ここは、乙女川に所縁のある三先人の山崎為徳、箕作省吾、吉川鉄之助についての
資料が展示されている。

山崎為徳は、斉藤實、後藤新平と並び、郷土の3秀才と謳われ、キリスト教への深い信仰と、
全人教育に生涯を捧げた人だ。
箕作省吾は、幕末の地理学者で、世界地誌「坤輿図識(こんよずし)」を著し、
吉川鉄之助は、北海道開拓の先駆者である。

また、ここでは乙女側流域の植物や生物なども展示してある。

左手前は、大町の纏(町印)である。
大町は前述の「仁心火防定鎮」のうち、「防」の字が当てられている。


柳町、乙女川上流
  水沢宿の柳町に入り、乙女川を渡る。乙女川は、胆沢川から、胆沢区若柳で取水した用水路茂井羅堰で、水沢付近の呼称となっている。
  茂井羅堰は、元亀年間(1570〜73年)に拓かれたと伝えられている用水路だ。
  柳町は水沢で最も古い町で、遊郭があった処である。


水沢宿立町

柳町の交差点で左折すると立町となる。

街道右側に、歴史を感じさせる店舗が並んでいた。
右から4軒目の店の軒先には太鼓を模した看板が吊り下げられてあった。
看板には「太鼓 高松商店」と書かれてあった。



(岩手県奥州市水沢区大町、柳町、立町))
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歩行略図
奥州市水沢区・南町〜水沢宿〜胆沢城跡〜胆沢川



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