紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 374
奥州市・胆沢城政庁跡〜外郭北東端
Hitosh
胆沢城政庁跡 |
胆沢城厨地区の北側に政庁地区がある。 政庁は、1辺が90m前後の土塀で囲まれた地域で、胆沢城の中心となる施設である。 土塁には南門、政庁前門(殿門)と東門、西門が設けられ、北側の土塁には 北辺建物が取り付けられていた。 胆沢城には、弘仁6年(815年)には役人等の他に、軍団の兵士400人と、 健士(こんし)300人の計700人が駐屯していた。 兵士は60日、健士は90日の交代制で、常時700人の兵力が維持されていたようだ。 なお、健士とは、陸奥国の辺境を警備した兵士で、租税を免ぜられ、 食料を支給されていた。 |
胆沢城跡、八幡宮方面 |
政庁跡を出て、北部に向かう。 正面の森は、胆沢城の鬼門に当たるところで鎮守府八幡宮である。 創建は延暦20年(801年)、坂上田村麻呂が蝦夷征討の時、その成就を願って 豊前国l宇佐の八幡神を肝臓氏、東北経営の守護神とした。 |
茂井羅北堰 茂井羅北堰にかかる九蔵川橋を渡る。茂井羅北堰は、この先で北上川に合流している。 茂井羅堰は前述したが、元亀年間(1570〜72年)に開削された用水である。当然、胆沢城があった時代よりもずっとあとに掘られたものである。 |
胆沢城外郭北東端 |
茂井羅堰北堰を渡り、暫く進むと胆沢城外郭の北東端となる。 白い標柱には「史跡胆沢城跡」と大きく書かれてあった。 このすぐ前方は北上川で、左側は胆沢川が流れている。 白い標柱の背後で、北上川と胆沢川が合流しているところである。 |
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