紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 375

奥州市・鎮守府八幡宮



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奥州市・水沢区


胆沢城跡、八幡宮方面

胆沢城の鬼門に当たるところにある鎮守府八幡宮である。

創建は延暦20年(801年)で、坂上田村麻呂が蝦夷征討の時、その成就を願って
豊前国l宇佐の八幡神を肝臓氏、東北経営の守護神とした。

数ある神宝のなかで特に嵯峨天皇宸筆の八幡宮寳印、坂上田村麻呂奉納の宝剣と鏑矢、
源義家奉納の御弓、伊達氏奉納の太刀などが特に貴重なものとなっている。


八幡宮拝殿
  八幡宮は、旧奥州街道沿いにあるため、街道を行く幕府巡検使や仙台藩主、盛岡藩主、さらに幕末には函館奉行所へ赴任する幕府役人等が多数参詣している。
八幡宮社殿
  八幡宮の社殿。由緒によると現社殿は文化8年(1811年)、仙台藩筆頭の八幡神として造営されたものである。
  当宮の神は国を鎮護し学問産業経済を盛んにし、災難を消滅させ人の一生を守る八幡大神であり、御神体は最霊石と呼ばれる霊石とのことである。 


胆沢城外郭北端

胆沢城外郭の北端から、胆沢城跡を見た写真である。
実に、広漠とした感じの城跡だ。

平泉で、「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ芭蕉も、
この地を訪れていたら、どんな句を残したであろうか。


胆沢城西北端
  胆沢城外郭製北端にある、史跡胆沢城跡の標柱である。
  ここで胆沢城跡から別れ、胆沢川を渡り、旧奥州街道85番目の宿場金ヶ崎宿に向かう。

(岩手県奥州市水沢区佐倉河字宮ノ内、沼ノ町)
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歩行略図
奥州市水沢区・南町〜水沢宿〜胆沢城跡〜胆沢川



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