紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 397
北上市・上野町〜二子一里塚
Hitosh
広野橋/新堰川 |
JR東北本線に架かる常磐台跨線橋を渡り、線路に並行して北上する。 新堰川(用配水路)に架かる広野橋を渡ると、村崎野地区に入る。 この新堰川の上流側となる奥寺堰は、「疏水百選」にも選ばれている疏水で、 今から340年前の藩政時代に開削されたものだ。 奥寺八左衛門定恒が、村崎野一体の原野の開墾のために開削したものである。 |
二子一里塚 |
新堰川を渡ると、前方に二子一里塚(東塚、高さ2.5m))が見えてきた。 現在、奥州街道で残っている一里塚はわずか20ヶ所で、その中でも原形のまま 残っているのは次の成田一里塚と、この二子一里塚だけとのことだ。 日本橋より128里(503km)、盛岡まで11里(43km)の位置にある貴重な遺跡である。 |
二子一里塚、西塚 街道を挟んで左側(西塚、高さ2.3m)にも、往時のままの一里塚が残されており、街道を挟んで対となって残されている珍しい例である。 |
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塚腰稲荷神社 二子一里塚の西塚の背後には、塚腰稲荷神社が鎮座している。紅い鳥居を潜り、階段を登ったところに小さいな祠があった。 |
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神楽伝承百周年記念碑 稲荷神社の境内にある「神楽伝承百周年記念」碑。その他、文久2年(1862年)の馬頭観世音と、文政2年(1819年)の庚申塔があった。 |
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