紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 403
花巻市・南城〜桜町
Hitosh
名残の松、傘松 街道右側にある旧奥州街道名残の松(傘松)である。 この付近の街道には昭和20年代までは往時の松並木が残っていたが、道路の拡幅、風による倒木などでほとんどその姿を消し、わずかにここと、この先の南城小学校の敷地内の3本の松を残すのみとなっている。 |
旧外台村 |
街道右手が大きく開ける。 街道ある台地と北上川の間の氾濫原に広がる、外台(とだい)地区(旧外台村)である。 昔も人家が無かったが、今も建物は無い。 この外台は、台地の外側と言う意味であろうか。 |
名残の松/南城小学校 |
南城小学校の敷地内にある奥州街道名残の松である。 この付近の松並木は、寛文5年(1665年)、南部藩士奥寺定恒が自費で 苗木を買入て花巻から伊達藩と境界である鬼柳まで松並木を整備したという。 宮澤賢治が 「青い松並 萱(かや)の花 古いみちのくの断片を保て」と詠んでいる。 なお、これら奥州街道名残の松は、花巻市の天然記念物に指定されている。 背後の建物は、南城小学校である。 明治5年の開校という歴史ある小学校だ。 |
上館跡 街道右側に上館跡の標識あり、ここから南城小学校にかけての一帯に館があった。 前九年の役(1051〜1062年)の時に、大和朝廷の源頼義が、陣所を置いたところと伝えられ、その後この地を領した諸氏が館を構えていたとのこと。 |
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花南地区コミュニティ消防センター 南城地区から桜町に入る。右手に洒落た建物がある。花南地区コミュニティ消防センターである。 この建物の背後に同心屋敷が今でも残されており、この辺が花巻城下の南の入口付近であった。 |
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