紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 416
花巻市・石鳥谷町江曽〜小森林
Hitosh
江曽一里塚碑、明治天皇御小休所 「史跡江曽一里塚」の標識の右側には「明治天皇江曽御小休所」と刻まれた石碑が建っていた。 |
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明治天皇巡幸記念碑 此方の石碑には、明治9年と明治14年の巡幸の際、八幡村大字江曽字塚根の大原與五右ェ門の家にて小休憩された旨刻まれてあった。 昭和11年11月に建立された石碑である。 |
小森林館跡 |
さらに進むと、左側に小森林(こもりばやし)館跡がある。 中世に稗貫(ひえぬき)郡を統治した稗貫氏の家臣・小森林氏の館跡と伝えられている。 館跡の規模は南北共に約400mで、現在確認できる稗抜氏家臣の中では 最大の面積を有していることから、小森林氏の勢力が強大なものであったことが伺われる。 天正18年(1590年)、稗貫氏は小田原の役に参陣しなかったため、所領を没収されて滅亡。 この時に主家とともに滅亡したと思われる。 翌年から、稗貫地方は南部氏の統治となった。 |
逆ヒバ 小森林館跡の北隅にあるのが逆(さかさ)ヒバである。 説明によると、今から1200年ほど前に弘法大師が諸国巡行の際、この地を訪れ湧き水で喉を潤そうとして休憩した。逆ヒバは、その時、地面に挿した杖が根付いたものとのこと。 逆ヒバはヒバ類のクロベという木で、幹が太くなってもその根元の方が細いため逆ヒバという名前がついたとのことだ。 |
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小森林石仏 逆ヒバの西側に館の鎮守である小森(子守)観世音があるとのことで、捜して見たが見つからなかった。 逆ヒバの裏側に、何点かの石仏があり、写真は梵字の下に「南無大師遍照金剛(へんじょうこんごう)」と刻まれたものだ。 四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんの白衣の後ろに書いてあるものと同じである。 南無とは帰依する、お任せするという意味で、大師遍照金剛とは弘法大師・空海のことである。 |
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