紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 426
紫波町・桜町〜志賀理和気神社



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紫波町


桜町・本町

東北新幹線のガードを潜ると、桜町に入る。
右側に白壁黒瓦の立派な旧家があった。



赤石神社前バス停

古道の道を踏襲した巾の広い道が、この先で左に曲がっている。

所謂宿場特有の枡形となっているところだ。
旧奥州街道88番目の宿場日詰郡山宿の入口付近である。

この丁字路を右に曲がると、日本最北にある延喜式内社南部一ノ宮の
志賀理和気神社のあるところだ。

バス停は、赤石神社前となっている。
志賀理和気神社の別称である。



志賀理和気神社鳥居


志賀理和気(しかりわけ)神社の鳥居である。

延暦21年(802年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷の首長アテルイを滅ぼし、
その翌年に志波城を築いたときに、香取・鹿島の大神を勧請し、
陸奥開拓の守護神として建てられた古社である。

延喜式の式内社で日本最北にある式内社である。


参道、南面の桜
  大きな赤い鳥居を潜り、参道を進むと左側に「南面(なんめん)の桜」と呼ばれる岩手県で最古の桜がある。
  樹齢は500年以上と推定され、伝説が残され縁結びの桜とも呼ばれている。  

元弘2年(1332年)、後醍醐天皇執権尊良親王(たかよししんのう)に同行した
藤原頼之は、河東の領主河村少将の娘、桃香と相思相愛の仲となった。

2人は社頭に桜を植えて、やがて来るであろう爛漫の春を密かに夢見た。
ところが、頼之は急に都に上ることになり、2人は再会を誓って別れる。

歳月が流れ、植えた桜はものの見事に咲いたが、
不思議にも花は南面に向かって咲いていた。

これを見て桃花は、募る思いを歌にして頼之に送った。

「南面(みなおも)の  桜の花は  咲きにけり  都の麻呂(ひと)に  かくとつげばや」

歌を受け取った頼之は心打たれ、桃香を都に呼び寄せたとのこと。
この伝説から南面の桜と呼ばれるようになった。



志賀理和気神社拝殿

志賀理和気神社の拝殿である。
祭神は経津主之命(ふつぬしのみこと)である。

神社名の「しかりわけ」は、「シカリ」というアイヌ語からきているようだ。

シカリは「大きな、曲流する」と言う意味で、
この神社が北上川に近接していることからとの説である。

また、マタギ言葉でマタギ集団の統率者の「シカリ」からとの説もあるようだ。


(岩手県紫波町・桜町本町)
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歩行略図
紫波町・JR日詰駅口〜日詰郡山宿〜郡山城址〜JR古館駅



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