紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 429
紫波町・日詰郡山宿仲町〜習町
Hitosh
日詰郡山宿仲町 |
日詰郡山宿の旧橋本地区から仲町に入る。 仲町が、日詰郡山宿の中心であった。 左前方のバス停が「日詰」バス停で、その先が枡形となっているところである。 |
明治天皇聖跡碑 |
街道左側にある明治天皇聖跡碑。 今は、ふれあい公園と呼ばれている。 この場所はもと美濃屋(幾久屋)金子屋という大商人が衣類や小間物の他、 味噌や醤油を造って販売していたところで、南側には井筒屋小野家の大きな店があり、 酒造りをしていたところだ。 明治天皇は、明治9年と14年の行幸のさい、ここにあった幾久屋が昼食の場となっている。 なお、日詰郡山宿の本陣は井筒屋と桜屋が担っていたとのこと。 |
来迎寺 旧仲町を抜けると、来迎寺の前で左折となる。枡形(鍵型)となっているところで、かつては市が開かれ、高札場のあったところである。 枡形の北側の細い路地の先は、寺小路と呼ばれていたところだ。 |
マリア観音で知られた来迎寺(浄土宗)は、日詰商店街の北側の突き当たりに位置し、 創建は江戸時代初期とのことだ。 背後にある郡山城(高水寺城)の南側の押さえの役目も担っていたようだ。 阿弥陀如来、観音菩薩、勢至観音の本尊と浄土観経曼荼羅が寺宝とのこと。 |
習町駐車場 |
来迎寺の前の枡形を左に曲がると、右側に旧習町(ならいまち)駐車場がある。 この駐車場は「車置き場」の名付けられている。 紫波町名誉市民となっている野村胡堂の「銭形平次捕物控」に因み、 江戸の風情を現したとか。 なお、ここはもと紫波郵便局のあった処である。 習町は日詰の町の発祥の地で、今から600年以上も昔から、約300年間斯波氏が この地を支配しており、この辺りに城下町を作ったのが始まりとのことだ。 その後、日詰の町は習町を中心に南の方に伸びていった。 |
銭形平次手形 駐車場入口には「銭形平次のふるさと紫波町」と書かれた大きな木札の下には銭形平次の手形があった。 調べてみると、平次を演じた北大路欣也のものだ。その側には「銭形平次ふるさとへ帰る」と刻まれてあった。 |
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