紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 431
紫波町・二日町山子〜大橋
Hitosh
大元帥陛下御幸新道 国道4号線から右の城山公園方面に右折したところ「大元帥陛下御幸新道」と書かれた道標がある。 大元帥は軍人の最高位の階級で、全軍を統率する大将に与えられる称号である。 大日本帝国憲法で天皇が統帥権を持ち、陸海軍の最高指揮官である大元帥となった。 昭和3年の陸軍特別大演習の時に整備された道のようだ。 |
城山/郡山城(高水寺城) |
正面に城山(標高180.6m)が見えてきた。 かつての郡山城(高水寺城)のあったところだ。 高水寺城(こうすいじじょう)は、天正16年(1588年)に南部信直に攻略されるまで、 室町幕府管領家の一族である斯波氏の居城であった。 高水寺城の名は、「吾妻鏡」に出てくる古刹・高水寺の一角を居館としたことによる。 建武2年(1335年)、足利尊氏が、南朝方の北畠顕家や八戸南部氏を牽制するために、 斯波家永を下向させたと伝えられている。 天正16年(1588年)、南部信直が斯波氏を滅ぼし、城名を「郡山城」と改め、 中野康実を城代とした。 九戸合戦後から盛岡城築城の間、南部信直の子利直の居城として 使われたこともあるが、寛文7年(1667年)盛岡城の完成と同時に廃城となっている。 |
二日町集落 |
旧街道は城山の西側を北上する。 前方に見えてきた山は岩手山(2038m)である。 盛岡が近くなってきた。 |
二日町旧家 街道右側にある旧家。この辺に「日詰長岡通代官所役屋(御仮屋)があったという。 |
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二日町石塔 右側に注連縄の巻かれた石塔があったが、風化して文字は読めなかった。 |
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