紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 436
矢巾町・徳田〜藤沢
Hitosh
徳丹城跡碑 徳田小学校の校庭前に「国指定史跡・徳丹城跡」と刻まれた石碑があった。この辺が徳丹城の北辺城郭であった。 徳田小学校は明治6年創立の古い学校で、敷地は徳丹城跡の中にある。 国の指定史跡となっているため、2020年までには、他の地へ移転されることになっているようだ。 |
西徳田交差点/JR矢巾駅入口 |
徳丹城跡から国道4号線を北上すると、西徳田交差点となる。 この交差点を左折し1.9kmのところに、JR東北本線の矢幅(やはば)駅があるところだ。 矢幅駅は、明治31年開業で、東京駅より525.1kmの駅である。 なお、駅名は「矢幅」となっているが、自治体名は「矢巾町」である。 矢巾町は盛岡市と紫波町に挟まれた町で、昭和30年に徳田、不動、煙山(けむやま)の 三村が合併し矢巾村となり、昭和41年に矢巾町となった。 水田が広く、徳田米が知られている。 |
矢巾町藤沢 |
西徳田交差点を過ぎると、見事な並木道となっている。 中央の信号機には「藤沢」と書かれてあった。 |
高田藤沢稲荷神社前 |
東京より524kmの標識である。 左手は、高田藤沢稲荷神社である。 |
高田藤沢稲荷神社 高田・藤沢稲荷神社参道である。由来によると、康平5年(1062年)前九年の役の頃、征夷大将軍源頼義が、蝦夷征伐の戦場跡であったこの地・狄森(えぞもり=現地名)の鎮守ために熊野社を勧請したのが始まりである。 |
その後、元亀3年(1572年)の頃、地元の高田氏が屋敷内に棲む白狐を信仰していた。 狐は五穀豊穣の種物の神である稲荷神の召使であるので、周辺の人々により 稲荷社として祀られ崇拝されるようになった。 なお、毎年秋には狄森祭(えぞもりさい)が、藤沢自治会館で行なわれているようだ。 |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |