紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 439
盛岡市・津市田〜南仙北


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盛岡市


大黒神社、八坂神社

盛岡市三本柳から津市田に入ると、左側に大黒神社(だいこくじんじゃ、右側)と
境内社となっている八坂神社(左側がある。

大黒神社は文化7年(1810年)、盛岡藩主36代利敬が、
津市田地区の総鎮守として創建したものだ。

当時は、この辺は津軽町と称し遊郭が繁盛していたところだ。

両社の中には遊女や楼主が納めた所願成就祈願の絵馬や、
奥州俳諧四天王の一人と言われた小野素郷(そきょう)の「俳諧之発句」などが奉納されている。

この内絵馬12枚、俳諧献額3面が盛岡市の有形文化財の指定を受けている。


大黒神社境内石塔
  大黒神社境内にある石塔群。右は出羽三山の月山、湯殿山、羽黒山で、その次は姫神嶽、岩鷲山、早池峰山と刻まれてあった。
  ここで岩鷲山は岩手山の別称である。姫神嶽は姫神山(1124m)のことだ。いずれも山岳信仰の地である。
馬頭観世音
  未だ新しい立派な馬頭観世音菩薩がある。昭和53年に建立されたものだ。
  街道筋には昭和初期頃までの馬頭観世音は多いが、昭和後期のものは珍しい。


盛岡市・川久保交差点

川久保交差点で、国道4号線と別れ、
旧街道筋は左側の県道16号線(盛岡環状線)である。

この辺に川久保一里塚があった。
その痕跡を捜したが判らなかった。


南仙北l・感恩寺
  国道4号線から別れ、暫く進むと右手に、日蓮正宗の慧日山(えにちさん)感恩寺がある。
  相馬大作事件で獄門となった下斗米秀之進(相馬大作)の遺児で、出家した日淳上人が父の菩提を弔う為に開基した寺である。
  相馬大作事件とは、大作が門弟の関良助と共に、津軽藩主暗殺を企み、失敗し出奔した事件である。

(岩手県盛岡市三本柳、津市田、南仙北)
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