紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 441
盛岡市・仙北〜北上川・明治橋
Hitosh
高屋稲荷神社 旧仙北町を進み、北上川の堤防が見えてくると、右側に高屋稲荷神社がある。この辺が旧街道筋であった。 |
宝永5年(1708年)、南部家32代南部利幹の時代に、 五穀豊穣の他、陸路、舟路の安全を祈願し、仙北町と川原町を結ぶ北上川の 新山舟橋の道筋に勧請された神社である。 高屋稲荷神社の大きな欅は、盛岡市の保存樹木に指定されている。 樹齢は220年との事だ。 |
北上川・明治橋 |
ここは盛岡城下の入口に位置し、対岸は北上川舟運の起点で、 新山河岸のあった処である。 江戸時代当初は舟渡しであったが、延宝8年(1680年)頃には、 この明治橋の下流側(写真右側)に新山舟橋が架けられた。 舟橋は、両岸に巨大な親柱と、中島に大黒柱を立て、20艘ほどの小船を鉄鎖で係留し、 その上に長さ2間半から3間の敷板を並べて、人馬が往来できるようにしたものだ。 増水時には敷板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて、川止とした。 明治7年に、この辺に木製の旧明治橋が架けられた。 写真は現在の明治橋である。 |
北上川河岸跡 |
高屋稲荷神社の道筋となる位置で、北上川の川原に下りてみた。 この辺に仙北町側の河岸があり、舟橋のあったところであろうが、 その痕跡は無かった。 |
岩手山 |
現在の明治橋より上流を見た写真である。 岩手県最高峰の岩手山(2038m)が目前にどっしりと見えるところである。 日本百名山に選ばれている山だ。 岩手山の別名は巌鷲山(がんじゅさん)である。 本来は「いわわしやま」であったが、「岩手」の音読みが「がんしゅ」であるから、 転訛して「がんじゅ」となったと言われている。 岩手山山麓の雪解けの形が飛来する鷲の形に見えるため、 これが山名の由来となったようだ。 |
北上川下流 |
明治橋より下流側を見た写真である。 前方に見える形の良い山は位置からして、黒森山(837m)であろうか。 北上川は盛岡城下で、雫石川、中津川、簗川と合流し、 この辺りから川幅が広くなり、大河の様相を呈してくる。 江戸時代は上流にダムが無かったから、もっと水量は豊富であった。 |
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