紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 448
盛岡城下・中ノ橋通〜紺屋町


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盛岡城下


中ノ橋通

ホテルを朝の6:00に出発して、昨日中断した旧街道に復帰する。

写真は中ノ橋通りである。
この道の一本右側(東側)が肴町のアーケド街だ。

未だ車や人は殆ど歩いていなかった。


もりおか啄木・賢治青春館
  明治43年建立の元第九十銀行本店本館で、平成14年に「もりおか啄木・賢治青春館」としてオープン。
  年齢差10歳の石川啄木と宮沢賢治は、明治から大正にかけ、それぞれ盛岡中学で学んでいる。その二人の青春を育んだ盛岡の街と二人について紹介・展示している。
  なお、この建物は国の重要文化財に指定されている。

青春館の正面(写真右端)にある柳は「銀座の柳二世」とのこと。

平成14年、東京銀座の朝日新聞社跡にある啄木の歌碑の前にあった柳の二世で、
銀座の商店会から盛岡市長に寄贈されたものだ。
合わせて銀座の煉瓦も寄贈されている。

啄木は明治42年から没する明治45年までの3年間、
当時銀座にあった朝日新聞社の校正係として勤務していたことによる。

啄木は
   「春の雪 銀座の裏の 三階の煉瓦達に やはらかに降る」
と詩を残している。
 

旧盛岡銀行本店、札の辻跡
  街道は旧盛岡銀行本店(現岩手銀行中ノ橋支店)の前を通る。明治44年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。
  この建物付近は札の辻と呼ばれ、高札場があったところである。
  なお、前述の写真は夕日を浴びたものであるが、この写真は日が昇る前に撮影したものだ。


紺屋町町並み

紺屋町に入る。
中津川東岸のこの辺は盛岡の中心で豪商が多かった。

写真は今も残る、老舗の雑貨屋・茣蓙九(ござく)である。
文化13年(1816年)創業の商家で、盛岡を代表する町屋建築だ。

この建物は、江戸時代後期、明治中期、同末期に次々と建てられたもので、
盛岡市の保存建造物に指定されている。


紺屋町番屋
  大正2年に建てられた木造洋風の消防番屋(現盛岡市消防団題分団番屋)で、望楼がユニークである。

(岩手県盛岡市中ノ橋通、紺屋町)
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