紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 449
盛岡城下・紺屋町〜上ノ橋町
Hitosh
菊の司酒造 |
街道左側にある菊の司酒造。 創業は元和年間(1615〜1623年)、 伊勢松阪から陸中郡山(紫波町日詰)に移った初代平井六右エ門が、 旅籠(石鳥谷宿)を開業したのが始まり。 安永年間(1772〜1778年)に6代目六右エ門が酒造業を始め、 現在まで続いている造り酒屋だ。 明治初年に盛岡に支店「土手酒屋」を開設。 昭和2年に酒造工場を現在地(紺屋町)に移転。 昭和43年に「菊の司酒造」と社名を改めたとのこと。 銘柄は「菊の司」と「七福神」である。 |
上ノ橋交差点、枡形 上ノ橋交差点だ。旧街道はここで左折し、紺屋町から上ノ橋町に入る。 |
|
店蔵 上ノ橋交差点を左折すると左側に古い店蔵があった。現在でも使用されているようであった。 |
上ノ橋町町並み |
街道右側にある、明治5年創業の老舗餅屋・丸竹餅店。 日本元祖のあべ川餅が自慢とか。 その他、くるみ餅、ごま餅、あずき餅等の他、 のし餅、紅白餅、丸餅、お供えや赤飯まで扱っている。 店内(丸竹茶屋)で食事が出来るようになっている。 |
上の橋袂 |
街道を進むと、中津川に架かる上の橋袂に出る。 上の橋は、盛岡城の築城と共に架けられたかけられた橋である。 木製の欄干を復元して、往時の雰囲気を残している。 欄干に取り付けられている青銅製の擬宝珠は、 上の橋が最初に架けられた慶長14年(1609年)当時の現物で、 この内18個が国指定の重要美術品に指定されている。 蛇足であるが、映画「壬生義士伝」で、 吉村喜一郎が幼い娘ミツと別れを告げた橋である・・・ |
前へ | 目次 | 次へ |
TOP | 北海道 | 東 北 | 関 東 | 中 部 | 近 畿 | 中国四国 | 九州他 |