紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 456
盛岡・小鳥沢〜小野松
Hitosh
北上川・小鳥沢 |
北上川が堰き止められてできた四十四田(しじゅうしだ)ダム湖(南部片冨士湖)。 この右前方にはドミニカロザリオ聖母修道院があるところである。 昭和11年(1936年)、ドミニカン修道女会のベルギー人修道女6人が、 盛岡の内丸教会の一角に女子観想修道院を仮開設。 昭和14年に旧上田蝦夷森(現緑が丘)に移転。 前述したが、ここの敷地内に上田一里塚が残されていた。 そして昭和62年に、ここ北上川畔の上田字松屋敷に移転してきた。 |
ドミニカロザリオ聖母修道院 街道左側に、ドミニカンロザリオ聖母修道院と刻まれた石碑がある。この道の奥に修道院がある。 かつてはこの修道院で作られたドミニカンクッキー「ニックナック」が盛岡で販売されていた。 修道女の高齢化に伴い、現在は製法を引き継いだ「岩手県手をつなぐ育成会あすなろ園」で製造・販売されている。 |
小野松一里塚 |
街道の両側に小野松一里塚が保存されている。 写真は東側(右側)のものだ。 盛岡藩では、城下の鍛治町にある一里塚元標を中心に 藩内の諸街道に一里塚を築造した。 奥州街道では上田一里塚(緑が丘)に続いて、ここ小野松一里塚が今も残されている。 |
小野松観世音 |
街道右側にある小野松観世音。 観世音のすぐ背後まで、新興住宅地・小鳥沢ニュータウンが迫っているところだ。 ここにあるのは里宮で、 この地の少し北側にある小野松山(標高291m)の山腹に奥宮がある。 縁起によると、後奈良天皇(1526〜1557年)の咎を受けた萩原左中将清成が 北上川舟場瀬(現上田小鳥沢)に流罪となった。 天文21年(1552年)、子供を亡くし、守り神として1寸8分の金の仏像を髪に結んで、 舟場瀬の砂で埋葬したのが始まりとか。 その後、弘治元年(1555年)にお堂が建てられた。 |
旧街道分岐 |
旧街道は右の道で、北上川の支流を遡上し、 沢が浅く狭くなったところを反対側に渡った。 左側は、新しくできた小野松橋方面である。 北上川本流は四十四田ダムで堰き止められた為、水位が上昇して、 この先の旧奥州街道の殆どが水没してしまった。 なお、写真右手の山が、小野松観世音奥宮のある小野松山(291m)である。 |
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