紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 468
盛岡市玉山区・渋民宿愛宕〜渋民
Hitosh
愛宕の森 |
愛宕神社参拝のあと、愛宕の森を散策する。 展望台には啄木の詩、 ふるさとの山に向ひて 言ふうことなし ふるさとの山は ありがたきかな かにかくに 渋民村は恋ひしかり おもひでの山 おもひでの川 が刻まれてあった。 |
愛宕の森より岩手山 |
愛宕の森よりみた岩手山(2038m)である。 今までで、一番大きく見えるところだ。 手前は、かつての渋民宿である。 |
渋民宿町並み |
愛宕の森より渋民に入る。 旧街道を挟んで左側が渋民字駅、右側が渋民字渋民となる。 この辺が、かつての渋民宿の中心街であったようだ。 左の店は、衣料品のいしかわで、その先は立花リサクルと書かれてあった。 渋民郵便局がこの先左側にあるところである。 |
渋民宿旧家 |
渋民宿の旧家。 家紋付きの屋根瓦が立派であった。 かつての店舗用であろうか、 左サイドに新用信販鰍フ広告が架かっていた。 |
石川啄木記念館 |
街道右側にある、石川啄木記念館。 啄木生誕100年を記念して、昭和61年にオープンした新館である。 啄木がかつて「理想の家」と詩に託した白い洋館風の建物がイメージされている。 啄木直筆の書簡や、ノート、日誌、遺品や、啄木関連図書が集められ展示されている。 また敷地内には啄木が代用教員をしていた渋民尋常高等小学校と 啄木が間借りしていた斎藤家が移築されている。 写真の右手には、宝徳寺があり、啄木が1歳から18歳まで過ごした寺である。 なお、啄木が生まれたのは、明治19年に南岩手郡日戸村(現在の玉山区日戸)で、 父がここの宝徳寺に転任、一家で渋民村に移住した。 |
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