紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 484
岩手町・91沼宮内宿


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岩手町


91沼宮内宿入口

県道17号(岩手平館線)から、旧街道に入る。

この先右にカーブしたところが沼宮内宿でる。
宿場入口の枡形の名残であろうか。

右側の建物は丹野旅館である。
ここの住所は、江刈内第6地割である。



沼宮内町並み

旧奥州街道91番目の宿場沼宮内に入る。
地名も江刈内から、沼宮内と変る。

旧家の先にあるのは洋服屋のマルナカで、その先が白畑葬儀仏具店だ。



山見の里

街道左側にある、山見の里かきくけこ煌(こう)。
沼宮内大町商店街のコミュニティー・スペースで、平成17年にオープンしたものだ。

山見とは、沼宮内宿に伝わる古くからの民間行事とのことだ。
旧暦の3月16日に手弁当を持って、
雪解け間近い里山に出かけ、賑やかに宴を催すとのこと。

元は春が来て、また始まる農作業の豊作祈願であったようだ。

「かきくけ煌」の「煌」は光り輝くの意味で、
「柿」と「煌」で、「かきくけ煌」と洒落たようだ。

岩手町は、昔から柿の育たない土地であったので、
何とか育ててみようと柿の木を植えた。

努力の甲斐もあり、今ではその柿が実るようになったとのこと。
以来、柿の木は町興しのシンボルツリーとなっている由。



沼宮内宿中心部

この辺が、沼宮内宿の中心街であったようだ。

次の信号岩手銀行の角を左に曲がると、
沼宮内郵便局と岩手町役場があるところである。

この先の右側にある沼宮内小学校近くに、
沼宮内代官所があったという。


寄寿姫の像
  街の駅・「山見の里・よりーじゅ」の横に、寄寿(よりじゅ)姫の像が建立されている。沼宮内伝説に登場する寄寿姫である。

1200年ほど昔、藤原大夫正次と呼ばれる情け深い長者がいた。
しかし長者の妻は、反対に欲が深く、500人の下人を過酷に扱い、
人々に畏れられていた。

突然、神仏の祟りで、欲深な妻が大蛇となって、長者と下人たちを食い殺し、
川を堰き止め大沼を造り、夜になると近郊の村々に出て暴れまわっていた。

大蛇に困り果てた村人は、大沼に神社をつくり大蛇を神に祀り、
神楽をあげて、大蛇を鎮めることにした。

神楽に誘われて現れた大蛇は、村を守りたければ、
祭日に若い娘を差し出せと言い渡す。

くじ引きで人身御供となった娘は、現れた大蛇を恐れもせず、
静かに観音経を読み、大蛇めがけて観音経を投げつけた。

すると、大蛇の角は欠け、その五体は空へ舞い上がり、
長者の妻の姿はもとに戻り、娘と手を合わせ天に昇った。

それ以来、この地は沼宮内と改められた、

また、経文を受け五体に散った大蛇は、各地に散らばり、土地の神として祀られた。

大蛇の角は一本木の杉の枝に落ち角架大明神、
背骨は七時雨山に車のように落下して、落下峠、
頭は江刈内の愛宕山に落ち愛宕大明神(前述)、
そして、お腹が落ちた沼宮内の大原山は、大安良大明神、
尾が落ちた権現山には一の権現となった由。


(岩手町江刈内、沼宮内)
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歩行略図
岩手町・JR沼宮内駅〜沼宮内宿〜沼宮内城址〜IGR御堂駅



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