紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 492
一戸町・馬羽松


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一戸町


馬羽松峠

旧街道正面に七時雨山(1060m)・西岳(1018m)が見えてきた。
ここからは緩い下り道となる。


馬羽松道標
  右:御堂・馬羽松一里塚、左:明治天皇巡幸碑、奥州街道一戸」と書かれた未だ新しい道標が街道右側に設けられてあった。
  旧街道ウォーカーにとっては嬉しい道標である。一戸町は、旧街道保存に力を入れているようだ。感謝感激である。


馬羽松峠

ここから、急坂になる。
旧街道は前方の山地を北に向かって伸びているところである。



馬羽松

旧街道右側の展望だ。
雄大な北上山を背景に、広々とした牧草地帯となっている。



馬羽松

旧街道左側の写真である。
畑がどこまでも遠く、広がっていた。

写真中央の牧舎の特徴的な3本のタワー・サイロが目に付く。
細かく切った牧草などを詰め空気を抜くものだ。

岩手県北部は、古代から馬の名産地として知られている。
今でも、牧畜の盛んなところだ。

糠部郡(ぬかのぶぐん)は、現在の岩手県北部から青森県東部に及ぶ広大な地域で、
中世を通じて名馬の産地として知られていたところだ。

郡域は、ここ一戸から九戸までの、9つの「戸(へ)」と、
東西南北の4つの「門(かど)」からなり、馬牧が置かれていた。

前述したが、南北朝時代の「源平盛衰記」によると、
宇治川の戦いの先陣争いで有名な佐々木高綱と梶原景季所用の馬はそれぞれ、
七戸立て(へだて)と三戸立てとし、熊谷直実の名馬権太栗毛は一戸立て、
替え馬の西楼は三戸立てであった。

「戸立(へだて)」とは、一戸から九戸産の糠部駿馬を指すもので、
当時の武士は競ってこれを求めたとある。


(一戸町馬羽松)
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