紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 498
一戸町・中山一里塚〜旧中山
Hitosh
旧中山一里塚 |
現街道から左折した道沿いに、旧中山一里塚が残されている。 盛岡から11番目の一里塚で、この西塚だけが残されている(国指定史跡)。 直径11.4m、高さは3.5m。 東塚は昭和50年代まであったが、崩されて畑になった。 |
七時雨山・西岳 |
一里塚の横から見た七時雨山・西岳である。 広い畑が続いているところだ。 |
蒼前神社鳥居 街道を進むと、左側に蒼前(そうぜん)神社がある。この朱の鳥居は、旧中山部落一同奉納と書かれてあった。 |
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蒼前神社 階段を登ると、小さな社があり、その前に石造の小さな馬が祀ってあった。馬の神様なのであろう。 |
南部地方には、馬を守護神とする「蒼前さま信仰」があり、各地に蒼前神社がある。 関白藤原是実(これざね)は無実の罪で奥州に流され、死亡。 嫡男の是行(これゆき)が、ここ糠部(ぬかべ)郡の馬渕(まべち)川べりの 斗嘉村(現三戸郡名川町斗賀)に住み着き、名を藤原宗善と改めた。 如何なる荒馬も宗善の厩に入ると悪癖が直り、名馬となったとか。 この「ご宗善さま」が後世信仰の対象となり、 宗善堂や、蒼善神社、蒼前神社などとなったようだ。 |
旧中山集落入口 |
蒼前神社を過ぎると、旧中山の集落に入る。 道路が凍っていた・・・ 集落の南口にあたるここには、道路標識が二つ建っていた。 左は東北自然歩道新奥の細道の標識で環境庁、岩手県が建てたものだ。 右は一戸町が立てた標識で、「ここは奥州街道中山、 直進 火行伝馬所跡、左折 青面金剛像塔」と記されてあった(後述)。 旧街道はこの右の道を下ることになる。 |
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