紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 503
一戸町・小繋番所跡~小繋川


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一戸町


小繋番所跡

よの坂と並行している流れる沢に架かる小さな橋を渡ると、
左側に小繋番所跡がある。

丁度、小繋集落の南側入口である。

漆戸茂樹の「北奥路程記」には、「小繋入口、小橋渡り、左に御番所あり」と
記されているが、全くそのとおりの面影が今も残されている。

小繋は、奥州街道と御山(おやま、天台寺)へ向かう通称「巡検道」との分岐点に位置し、
交通の要衝となることから盛岡以北では最初の番所が置かれた。

藩境にある境番所に対して、こちらは中間番所と呼ばれていたようだ。

領内に於ける材木、馬、漆、蝋などの物資の流通と、
交通、特に女性の移動について取調べが行なわれていたようだ。



小繋集落

小繋番所跡を過ぎると、街道沿いに出来た、小繋の集落に入る。
ここで、地元の農家の方と、いろいろ話を伺う。

旧奥州街道では、なかなか人と出会うことが無かったから嬉しくなった。

なお、小繋という地名の意味が気になり調べてみたが良く分らなかった。
ただ、「繋」が付く地名は、岩手、秋田、青森に特に多いようだ。

例えば、小繋、大繋、繋塚、繋日向、綱木、大綱木、津名木・・・とある。

又、山言葉で、狩人が獲物を追跡する時の情報を「ツナグ」という。

「繋」の地名の存在地を調べてみると、他の村から離れた孤立した村で、
なおかつ、他の数村とは道が繫がっているようなところが多い。

つまり、村と村を結ぶ、物流や情報の交流点を意味するようだ。
そう考えると、ここ小繋も交通の要衝で、南部藩の番所が置かれるぐらいであった。



小繋集落

小繋(こつなぎ)と言えば、小繋事件が知られている。
小繋部落と地主の間で争われた、入会権を巡る親子三代にわたる訴訟事件だ。

小繋の農民達が、先祖代々小繋山に依存した生活(建築用材、燃料、肥料、飼料や
食料の一部等もそこから得ていた)が、地租改正に伴う官民所有区別処分の際に、
この小繋山が共有林や村有林ではなく、民有地とされたからである。

この新しい地主が、小繋山への農民の立入りを警察力を使って、
実力で阻止するようになり、農民は是を不服として大正6年に訴訟を起こしたものだ。

結果は、1審無罪、2審有罪、そして昭和41年の最高裁も有罪で、農民側の敗訴となった。
農民が無断で小繋山に入って、生活に必要なものを調達することは森林法違反となった。

当時大きな社会問題となり、
岩波新書「小繋事件、三代にわたる入会権紛争」も出版されている。



小繋丁字路

小繋集落の北の出口である。
旧街道はここで右折となる。

左に行くと、IGRいわて銀河鉄道の小繋駅である。

小繋駅は、明治42年開業の古い駅で、
命のノートを題材にした平成17年の映画「待合室」(2005年)の舞台となったところだ。


小繋川下流側
  小繋の丁字路を右折すると、小繋川に架かる橋を渡る。
  写真は橋より下流を見たものだ。丁度、この先の川が左にカーブするところで、よの坂から旧街道に沿って流れていた沢と合流するところだ。
  小繋川は七時雨山・西岳(1018m)の北斜面を源流とする川で、この先で馬淵川に合流している。

(一戸町小繋)
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