紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 504
一戸町・小繋長楽寺〜IGR下平踏切


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一戸町

小繋川上流側、庚申塔
  小繋川の上流側畔に大きな古い文字庚申塔があった。○○村中と刻まれてあったが、建立年月は読め無かった。


小繋長楽寺

小繋川を渡った左側に鬱蒼とした森がある。
この奥は、かつて天台宗小繋山長楽l寺があったところだ。

桓武天皇の御代、坂上田丸麻呂が征夷大将軍として、
大同2年(807年)に東夷鎮撫祈願のため、当地に地蔵堂を建立したのが始まり。

嘉祥年間(850年頃)、慈覚大師が諸国巡錫の途次、
当地で6尺5寸の延命地蔵尊を彫刻した。

その後、南部藩による庇護もあり、隆盛を極めたが、再三の火災で、
伽藍、寺の記録等を焼失。

江戸勤番往来の際は、ここが本陣ともなっていたようだ。

小繋地蔵尊
  森の奥にある小繋地蔵尊堂だ。長楽寺は明治初頭と大正4年の小繋の大火で全焼し、この地蔵堂のみが残ったとのことだ。


明治天皇行幸記念碑

長楽寺を出て、ふと左を見ると、東北自然歩道、小繋の番所跡の説明板がある。
番所跡は、ここ小繋集落の出口では無く、入口にあった。

変だと思ったら、東北自然歩道の道筋は、火行からヨノ坂を通らずに、
塚平一里塚、そしてIGRの小繋駅経由の道となっているため、
入口付近の番所跡前は通らないから、ここ出口に説明板を設けたようだ。

東北自然歩道の案内板の横には、明治天皇御昼飯跡と書かれた白い標柱があった。



IGR下平踏切

長楽寺を抜けると一本道を北上する。
正面に、いわて銀河鉄道IGRの下平踏切が見えてきた。

この踏切を越えると、国道4号線に合流となる。


(一戸町小繋)
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