紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 507
一戸町小鳥谷・川底〜高屋敷
Hitosh
小繋川 国道4号線を進むと、左下に大きく蛇行した小繋(こつなぎ)川が見える。旧奥州街道は正面の山間部を通っていた。 この辺の地名は、かつて川底と呼ばれていたようで、旧奥州街道も川底の道と呼ばれていたようだ。 また、この川沿いに巌手山神社があるはずであるが、解らなかった。 |
国道4号線、高屋敷 |
国道4号線を進むと正面に小繋川に架かる橋が見えてきた。 川の左側の旧奥州街道に復帰すべく、この橋で左折する。 |
道地下橋、小繋川 |
小繋川に架かる、道地(どうち)下橋である。 この橋を渡り、旧奥州街道に復帰する。 三角形の2辺を通る、遠回りの道であった。 |
小繋川下流 |
道池下橋より小繋川下流を見た写真である。 ここで小繋川は、右から流れてくる平糠川に合流している。 平糠川は、この先で馬淵川に合流し、八戸から太平洋に注いでいる。 旧奥州街道は、当分はこの川沿いの道を北に進むことになる。 |
旧街道川底の道分岐 |
小繋川に架かる道地下橋を渡り、坂を登りきったところ左側に、 「旧奥州街道、川底(かわぞこ)の道」の案内標識があった。 笹目子とここ高屋敷を結ぶ川底の道は、奥州街道で最も険しい道であった。 街道は、小繋川を見下ろす左岸にあり、 急峻な斜面に沿って進む上り下りの厳しい難所となっていた。 明治24年盛岡〜青森間で運行を開始した東北本線の開設工事によって分断され、 区間を通して通行することは出来なくなっている。 しかし現在まで、大規模な道路工事が行なわれなかったため、 今となっては貴重な区間となっていると記されてあった。 左下の木片には、手書き文字で、左川底一里塚600mと書かれてあった。 先程危険を感じ中断した山道は、どうやら歩こうと思えば、歩ける道であったようだ。 図らずも、奥州街道随一の難所を体験した感じである。 この山道を少し戻って見ることにする。 |
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