紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 522
一戸町・西法寺稲荷〜高善寺野田


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一戸町


IGR一戸駅

旧街道左側にある一戸駅駅舎。

一戸駅は、明治26年に開業した駅で、東京駅より599.8kmにある。
平成25年で開業120周年となり、
戸駅待合室と一戸町コミュニティセンターで、
2月15〜17にかけて記念イベントが催されたようだ。

東京より約600km、毎度のことながら良くここまで歩いてきたものだと、
一人感激に浸る。

朝より降り続いている雨は、未だ止まなかった。



一戸駅前通

一戸駅間どおりである。
旧奥州街道は、この通りの左側の細い道である。

かつての城下町らしく、曲がりくねった道となっている。



旧奥州街道標識

旧奥州街道と、現在の駅前通りとの合流点である。

写真右端に、旧奥州街道と書かれた木製の標識があった。
城下町は分かり難いので、この標識はありがたかった。



八坂神社入口

駅前通り合流し少し進むと、左側に八坂神社の鳥居がある。
そこで、旧街道は左折となる。

写真正面の小高い山が、かつての一戸城のあった処である。
戦国期の平山城で、馬淵川の右岸の台地の上で、
南北に連続して北館、八幡館、神明館、常念館の
4つの郭で構成されていたようだ。

南部氏の有力な分家である一戸南部氏の居城で、南部義実によって、
室町期の建長年間(1249〜56年)に築城されたとのこと。

天正19年(1591年)九戸政実の乱で、篭城して九戸側の夜襲に耐え、
乱の後は石井信助が城代となったが、翌20年(1592年)廃城となった。

現在は一戸公園として整備されている。

また、馬淵川を挟んで、手前写真右側には野田城(野田館とも)があった。
野田城は、一戸城が出来るまで、一戸南部氏の居城であった。


八坂神社入口、旧奥州街道
  旧街道左側に八坂神社の鳥居がある。旧街道は、ここで駅前通から左折し鳥居を潜って行く。
  鳥居の左下に旧奥州街道の標識がある。町の中は、曲がりくねっている上、道が変化していて、旧街道がわかりにくいので、ありがたい標識である。

(一戸町西法寺稲荷、高善寺野田)
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