紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 532
二戸市石切所・浪打〜桜清水


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二戸市

末の松山トンネル

浪打峠から快適な旧街道を下っていくと、ここで市道に合流する。

この左側手前が、市道の末の松山トンネルの出口に当たるところである。
このトンネルは浪打峠の下を通り、延長629mで1987年に完成したものだ。


東北自然歩道道標
  市道との合流点の右側に東北自然歩道の案内標識がある。
  「新奥の細道、 左 九戸城 2.8km、右 末の松山 0.7km」と記されてあった。


石切所、旧奥州街道

石切所(いしきりどころ)の旧奥州街道である。
道の右側が二戸市石切所字桜清水で、左側は石切所字鐺倉(なべくら)だ。

「鐺」を「なべ」と読ませている。
普通は「こじり、とう」である。

この字の意味は、原義はくさりで、
刀の鞘の末端の金具であるこじり、壁を塗るこてである。

地形からきているのか当て字か、わからなかった。



石切所桜清水

快適な道を下って行くと、左側に湧水・桜清水、
そして右側に桜清水地蔵尊がある。
地蔵尊の前にあるベンチで休憩させていただく(謝)。

桜清水は古くからの清水で、
古書にも「三伏の間旅客渇き凌ぐ也」と記されているとか。

三伏(さんぷく)は、暑さの最も厳しい時期の意味。

但し、泉の側にある二戸市松村町内会の注意書きには、
「水質調査の結果、一度沸かしてから飲むように」と書かれてあった。

右側は桜清水地蔵尊で、説明板によると、
天保4年(1833年)、日向国臼杵郡岩戸村(現宮崎県臼杵郡高千穂町)の新作と言う人が、
旅行者の安全を祈願して建立したものだ。



石切所鐺倉分岐

ここで、旧奥州街道は左の狭い道となる。

轍があるので、車も通れるのであろう。
この先は、二戸市石切所字村松となる。


(二戸市 石切所浪打 桜清水 鐺倉 村松)
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