紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 536
二戸市福岡宿・五日町〜松ノ丸
Hitosh
田中舘愛椿所縁の家 |
左側に田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)ゆかりの家がある。 氏は、東京の雑司が谷に住んでいたが、 東京大空襲で、生まれ故郷である福岡に疎開して、 向かいの小保内家に身を寄せていた。 この家は、昭和23年に福岡町(現二戸市)の有志が田中館のために寄贈したものだ 東京に居を構えてからも、この家に避暑に訪れ、地域の人々と交流していた。 平成14年、この家は土地とともに遺族から二戸市に寄贈された。 なお、田中舘は、安政3年(1856年)、南部藩兵法指南の家に生まれ、 明治15年東京帝国大学理学部を卒業、グラスゴー大学、ベルリン大学に留学。 帰国後は東京帝国大学の教授となり、日本物理学の創始者で、 日本式ローマ字の創始者とのことだ。 現在この家は、「高齢者語らいの家」としても利用されている。 また、氏の功績を記念して、二戸市石切所にある二戸シビックセンターには 「田中舘愛橘記念科学館」が出来ている。 |
呑香稲荷神社 |
街道右側の九戸城松ノ丸跡にある、呑香(とんこう)稲荷神社。 「呑香」は「東光」の字を充てることもあり、 アイヌ語で「かがやける丘」の意味とのことだ。 社伝によると、延暦20年(801年)、又は承和年間(834〜848年)の頃、 出羽国の大物忌神社を勧請したのが始まりで、 天和2年(1682)にここに遷座したと伝えられている。 |
福岡宿家並 |
呑香稲荷神社を出て、旧街道を進むと、右側に成田山と書かれた安養寺がある。 境内に、成田山護国殿がある。 左前方は二戸郵便局で、住所は二戸市福岡五日町となっている。 明治8年に福岡郵便局として開設されたものだ。 |
安養寺参道 街道右側の松ノ丸跡にある安養寺(あんようじ)。浄土宗の寺だ。 |
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九戸城跡 安養寺の北の角に「九戸城跡」と書かれた案内標識があった。この道を九戸城に向かう。 |
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