紀行写真集



福山街道 6
松前町寺町・龍雲院~光善寺


Hitosh



龍雲院惣門

華遊山、曹洞宗龍雲院の彫刻が施された惣門。

龍雲院は寛永2年(1625年)、
松前家七世公広(きんひろ)正室の発願により、
松前家菩提寺(前述)である法幢寺の三世良天和尚により開山。

公広の正室は、長子兼広の冥福と二子の壮健を祈念して
建立したといわれている。

戊辰戦争の戦火を免れ、
江戸時代のままの伽藍を残す貴重な建物となっている。

本堂、庫裏、惣門、鐘楼、土蔵からなり、本堂・庫裏は
天保13年(1842年)の建築で国の重要文化財に指定されている。



光善寺山門

龍雲院に隣接して、東側にあるのが光善寺だ。

光善寺は、天文2年(1543年)高山寺として創建。

元和7年(1621年)、時の後水尾天皇より高徳山善光寺の寺号を賜り、
改称され、松前藩の内室の菩提寺として栄えた。

写真は光善寺の山門で、
弘化4年(1847年)に建てられたものだ。



光善寺鐘楼門

光善寺の山門を潜ると、鐘楼門がある。

松前八景の中に、光善寺の晩鐘として詠われた鐘楼門。
ここで打たれた鐘の音が城下になり響いたとのことだ。



光善寺本堂

光善寺は、文化5年(1808年)、天保8年(1837年)、明治36年と
3度の火災で山門を除き、建物の大部分は焼失、
その後に再建されたものだ。

本尊阿弥陀如来像は平安末期の作といわれ、
北海道指定の有形文化財となって



光善寺血脈桜

光善寺本堂前にある樹齢300年以上と言われる
南殿桜(なでんさくら)の血脈桜(けちみゃくざくら)で、
松前町にある三大名桜の一つとなっている。

南殿桜は、江戸時代に本土から持ち帰られた品種で、
松前では最も多い桜となっている。
その親木が、すべてこの血脈桜とのことである。

光善寺で本堂を立て直す時、
この桜が邪魔になり切り倒すことになった前夜、
住職の枕元へ桜模様の着物を来た娘が現れ、
「明日に命を失う身、どうか極楽浄土へ行けるように
血脈を授けてほしい」と泣いて頼んだ。

深夜、ただ泣くばかりで、
やむなく住職は念仏を唱え、お祈りして血脈を授けた。

翌朝、切り倒す桜を見上げると、
昨夜娘に与えた血脈が枝先に結び付けられている。

それを見た、住職は、昨夜の娘は桜の精であったことを知り、
直ちに本堂改築の縄張りを変更、桜の切り倒しを中止し、
盛大な供養を行ったとのことだ。

なお、血脈(けちみゃく)とは、
師から弟子へ仏教の精髄を受け継ぐ関係、師弟の系譜。
師から弟子に戒を授ける時、
その保証として師が与える血脈図の略称のことである。


(松前町 松城)
1210/1512

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます


前へ 目次 次へ

北海道松前町、地図



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system