紀行写真集



福山街道 14
函館市・函館港


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函館港、摩周丸

旧函館第二岸壁に係留・保存されている青函連絡船記念館摩周丸だ。

昭和63年、青函連絡船最後の日まで、実際に運航していた摩周丸で、
ここが当時の実際の乗り場であったところだ。

操舵室(船橋)・無線通信室が当時のまま残り見学できるほか、
前部グリーン船室を展示室に改装して、実物部品・模型等を展示するとともに、
パネル・映像・音声で青函連絡船の歴史や仕組みを紹介している。



青函連絡船、摩周丸

国鉄青函連絡船は、明治41年、比羅夫丸の就航で始まり、
昭和63年に廃止となり、青函連絡船80年の歴史を閉じた。

青函トンネルにバトンタッチしたわけである。

江戸時代前は三厩から松前で、次に青函連絡船で青森から函館、
そして今は、津軽海峡線で津軽半島蟹田から木古内が
北海道の入口となっている。

思えば、私が初めて北海道に来たときは、
青森からこの青函連絡船で函館に来たが、
その後は、飛行機で札幌(千歳空港)となり、この函館は素通りとなった。

今回は、JR津軽海峡線で函館に来たが、
何と50年ぶりの函館で、ただただ懐かしかった。

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函館港桟橋、函館山

函館港は、津軽海峡に面した岬によって形成された天然の良港で、
海水深く湾入して巴状となっていたことから、
古くは巴港と呼ばれていた。

室町時代の前期頃から本土の船が利用しており、
その後、安政6年(1859年)の修好条約締結で、横浜、長崎と共に、
日本最初の外国貿易港として開港した。
それ以来、海の玄関口として、流通拠点として発展してきた港だ。

背後の山は函館山(標高334m)で、
牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれている。
元は島であったが、砂州が発達し渡島半島と陸続きとなっている。

なお、函館市の中心街はこの砂州上にある。



函館市水産物地方卸売り市場

函館湾に面した函館市水産物地方卸売市場(通称魚市場)だ。

開場時間は午前5時から午後3時。
2階にある食堂・魚いち亭は一般の人も利用できる穴場である。



赤レンガ倉庫群

函館湾の岸壁を函館山の方へ進み運河を渡ると、
左側に函館の観光名所となっている赤レンガ倉庫群がある。

現在は、ショッピングモールやレストラン、ビアホール等となっている。

なお、この地域一帯は、重要伝統的建造物保存地区、
街並は北海道遺産に選定されている。


(函館市 若松町 豊川町 末広町)
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