函館港、摩周丸 |
旧函館第二岸壁に係留・保存されている青函連絡船記念館摩周丸だ。 昭和63年、青函連絡船最後の日まで、実際に運航していた摩周丸で、 ここが当時の実際の乗り場であったところだ。 操舵室(船橋)・無線通信室が当時のまま残り見学できるほか、 前部グリーン船室を展示室に改装して、実物部品・模型等を展示するとともに、 パネル・映像・音声で青函連絡船の歴史や仕組みを紹介している。 |
青函連絡船、摩周丸 |
国鉄青函連絡船は、明治41年、比羅夫丸の就航で始まり、 昭和63年に廃止となり、青函連絡船80年の歴史を閉じた。 青函トンネルにバトンタッチしたわけである。 江戸時代前は三厩から松前で、次に青函連絡船で青森から函館、 そして今は、津軽海峡線で津軽半島蟹田から木古内が 北海道の入口となっている。 思えば、私が初めて北海道に来たときは、 青森からこの青函連絡船で函館に来たが、 その後は、飛行機で札幌(千歳空港)となり、この函館は素通りとなった。 今回は、JR津軽海峡線で函館に来たが、 何と50年ぶりの函館で、ただただ懐かしかった。 . |
函館港桟橋、函館山 |
函館港は、津軽海峡に面した岬によって形成された天然の良港で、 海水深く湾入して巴状となっていたことから、 古くは巴港と呼ばれていた。 室町時代の前期頃から本土の船が利用しており、 その後、安政6年(1859年)の修好条約締結で、横浜、長崎と共に、 日本最初の外国貿易港として開港した。 それ以来、海の玄関口として、流通拠点として発展してきた港だ。 背後の山は函館山(標高334m)で、 牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれている。 元は島であったが、砂州が発達し渡島半島と陸続きとなっている。 なお、函館市の中心街はこの砂州上にある。 |
函館市水産物地方卸売り市場 |
函館湾に面した函館市水産物地方卸売市場(通称魚市場)だ。 開場時間は午前5時から午後3時。 2階にある食堂・魚いち亭は一般の人も利用できる穴場である。 |
赤レンガ倉庫群 |
函館湾の岸壁を函館山の方へ進み運河を渡ると、 左側に函館の観光名所となっている赤レンガ倉庫群がある。 現在は、ショッピングモールやレストラン、ビアホール等となっている。 なお、この地域一帯は、重要伝統的建造物保存地区、 街並は北海道遺産に選定されている。 |
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