紀行写真集
福山街道 18
函館市・護国神社~高田屋通
Hitosh
函館護国寺拝殿 |
函館護国神社拝殿。 明治2年、函館戦争の戦死者の招魂場であったが、 その後、函館招魂社と呼ばれ、昭和14年函館護国神社となった。 現在の拝殿は、昭和17年に建立されたものだ。 境内には、招魂場の碑や、橘鎮魂之碑、 官軍墓地(官軍兵士の墓が約60基)等がある。 ここで、「橘」は昭和20年の函館空襲で、 函館湾で沈没した駆逐艦の名称である。 |
童謡燦燦碑 |
函館護国神社の境内にある童謡燦燦碑。 童謡「チューリップ」の歌碑である。 「どんな小さなものにも、いいところがある。 とくによわいものには目をくばり、差別してはならない この歌には、作詞者近藤宮子は、チューリップの花にたとえて、 平和の世に人は等しく尊重され、明るく希望と喜びにみちた心で 生きてほしいという願いをこめています」 と刻まれてあった。 作詞は、昭和5年であった。 作詞者近藤宮子は、明治40年生まれである。 |
大地への献身碑 |
大地への献身碑 太平洋戦争末期、農家の人手不足及び緊急食糧確保のために 全国から北海道に来た学徒援農隊を記念する碑。 |
高田屋通 |
函館護国神社の鳥居を潜ると、護国神社坂(高田屋通)となる。 この先に、高田屋嘉兵衛像があるところだ。 司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公である。 津軽海峡を挟んで、背後に伸びる半島は亀田半島だ。 左右の道は日暮し通である。 |
高田屋通街並み |
函館護国神社から、高田屋通りの左側にある旧家。 明治38年に建造された黒漆喰の土蔵は、 元質店(ひし伊入村質店)であった 近くに花街(蓬莱町)があり、 また北洋漁業の男たちが、出漁の前に家財道具等を預け、 資金を作り、漁が終わって帰ってくると払い出ししたこともあり、 大層繁盛したらしい。 現在は、茶房ひし伊、アンテイーク店となっている。 この先に、高田屋嘉兵衛の銅像のあるところである。 |
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