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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 17

和田峠〜木落坂〜諏訪大社春宮・秋宮〜29下諏訪宿


作者 Hitosh



和田峠


和田峠・古峠西坂





和田峠古峠の頂上(上写真)で昼食を摂っていると
ガスがかかってきた
足元が見えるうちにと早々に下山を開始した

和田峠の西坂(下諏訪側)は荒れていた
慎重に歩かないと崖下に転落しそうであった

下の写真は賽の河原と呼ばれるガレ場である
ここも急峻な下り坂となっている


(長野県下諏訪町)



水飲場跡・石小屋跡





急坂の途中に水飲み場跡と石小屋跡がある
すっかりコケで覆われている

江戸時代、雪が降ったときは、下諏訪宿から雪割人足が出て
街道の確保を図ったとのこと

石小屋は、石を積み屋根を掛けて人馬の避難所や荷置き場として
安政2年(1855年)に作られものである

今ではわずか石垣の残骸が残されているのみである


(長野県下諏訪町


西餅屋茶屋跡





熊笹を掻き分け下っていくと
突然開けた場所に出る

西餅屋茶屋跡である
かつてはここに4軒の茶屋があった

名物は氷餅(こおりもち)であった

氷餅は諏訪の特産で
憑いた餅を天日で乾燥し、水で戻し砂糖ときな粉をつけて食べるもの
また、餅米の粉を煮てから固めて作る方法もあった由


(長野県下諏訪町


樋橋茶屋本陣跡



西餅屋跡からは当分は山間の国道(142号線)歩きとなる

この辺の旧中山道は、残念ながら、あちこちで寸断され
辿る事が難しい

樋橋(とよはし)のところで国道を離れ
再度旧中山道に入る

やっと人家が見えてきた
樋橋の集落である

元立場のあったところで、茶屋本陣跡の石碑があった


(長野県下諏訪町


六峰温泉





さらに進むと、右手に六峰(ろっぽう)温泉がある

遥か下に下諏訪の町が見下ろせるところだ

旧街道はここで左に折れ、細い道を辿ると
程なく御柱の木落としで知られた木落坂に着く


(長野県下諏訪町樋橋


木落坂・御柱





ここが、天下の木落とし坂として知られたところだ

諏訪大社で7年毎に巡ってくる寅年と申年に御柱(おんばしら)祭りが行われ
その時に使う巨木を切り出し、上から落とすところがこの坂である


(長野県下諏訪町町屋敷

29下諏訪宿


下諏訪・諏訪湖





民家が眼下に広がり、その先に諏訪湖が見渡される
やっと下諏訪に到着である

写真右手が諏訪大社・下社春宮のあるところだ
道の角に古い道標があり、左下諏訪宿、右下社春宮とある


(長野県下諏訪町


諏訪大社・下社春宮







諏訪大社の下社・晴宮である
諏訪大社は日本最古の神社の一つで
古代には信濃の一宮であった

諏訪湖の南に上社(本宮と前宮)
そして諏訪湖の北に下社(春宮と秋宮)の4社に分かれている

旧中山道沿いには下社の春宮と秋宮がある

中の写真は、下社春宮から砥川を渡ったところにある
万治の石仏である
なんとも不思議な顔をした仏だ
万治3年(1660年)11月と刻まれている

下の写真は砥川である
この川の畔で昼食を摂った


(長野県下諏訪町)



下諏訪宿





下社春宮を抜けると、中仙道29番目の宿場・下諏訪宿である
町並みは800mあり、本陣1、脇本陣1で旅籠は40軒もあった

甲州街道と中山道の合流点でもあり
また、町の中に温泉のある宿場であったため
賑やかな宿場であった様だ

現存する旦過湯(たんがのゆ)は当時から続いているものだ


(長野県下諏訪町


諏訪宿本陣



下諏訪宿本陣である

岩波家のもので、その一部が聴泉閣(ちょうせんかく)亀屋となり
今でも旅館として営業している

ここの築山式石庭園は各地の名石を集め
中山道随一との評判であった

またこの少し先が、旧甲州街道の終点で
甲州街道終点の碑のあるところである


(長野県下諏訪町


諏訪大社・秋宮






諏訪大社・下社秋宮である

諏訪大社はかつては諏訪大明神やお諏訪様とも言われ
全国に勧請された分社は実に1万有余に達しているとのこと


(長野県長和町和田村



下諏訪宿・上木戸





下諏訪宿の上木戸には
巨大なモニュメントがあった

この左手が旧中山道の下諏訪宿入口となっている
なお、上の写真は昔の民家を利用した
下諏訪町民族資料館となっている


(長野県下諏訪町



下諏訪・魁町




下諏訪宿を抜けると、次は難所塩尻峠越えである

旧中山道は左の道である
正面に見える山並みが塩尻峠だ

和田峠からの長い下り坂は終わり
これからはまた登り道となる

因みにこの辺の標高は766mである
和田峠・古峠は1531mであった

次の旧塩尻峠は1060mである


(長野県下諏訪町魁町
0609/0610

歩行略図

歩行距離 16.5km
(青線部を歩行)





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作者 Hitosh


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