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旧中山道六十九次 ぶらり徒歩の旅 24

間の宿・原野〜37福島宿


作者 Hitosh



間の宿・原野


日義村・下島





宮ノ越を抜けると、再び谷が狭くなってくる
写真の右手が木曽川で、中央本線の左側を国道19号線が走っている

せまい河岸段丘の上に田圃が出来ている


(長野県木曽町日義村)



間の宿・原野






間の宿・原野の家並みである

かつての立場はこの少し先の小沢村にあった



(長野県木曽町日義村原野)


明星岩



原野の集落を抜けると、右手山腹に明星岩がある
三角形をした岩が、山腹より飛び出している

朝日に当り、光るという


(長野県木曽町日義村


中山道中間点





ここが、旧中山道の中間点である
江戸・京都へ67里38町と書かれている
換算すると、約268kmである

まだ半分、あと半分も残っているわけだ
何時になったら京都に着けるのだろう・・・


(長野県木曽町日義村)



手習天神




中山道の中間点を過ぎると木曽町木曽福島町に入る
ここは上田の集落のあるところだ

手習(てならい)天神は、古くは山下天神と呼ばれていた

中原兼遠が義仲の学問の神として勘定したので
手習い天神と呼ばれるようになったとか

近くに中原兼遠の屋敷があり
ここに若い時の義仲は匿われていた


(長野県木曽町木曽福島町

37福島宿


木曽川



木曽川沿いに福島宿の町並みが見えてきた


(長野県木曽町木曽福島町



木曽福島関所






木曽川の狭い河岸段丘の上に福島関所があった
木曽谷のほぼ中央にあると共に、中山道のほぼ中間点である

江戸防御を第一に考える幕府にとって
西国の大名を抑える場所として、重要な関所であった

江戸4大関所の一つとして
入り鉄砲と出女を厳しく取り締まった

なお、4大関所とは東海道の箱根、新居、そして中山道の
碓氷とここ福島の関所を言った


(長野県木曽福島町



福島宿・町並み





福島宿の町並みである
本陣は、現在の木曽福島役場のところにあった

本陣1、脇本陣1、旅籠14軒の規模であった

木曽川の反対側に、この地を治めた
山村代官役屋敷が復元されていた

山村氏は木曽代官を命じられ
同時に福島関も任せられていた


(長野県木曽町木曽福島町



福島宿・高札場跡




街道は左に曲がり、坂を上って行く
その途中に高札場跡があった


(長野県木曽福島町



福島宿・上ノ段町









さらに坂を上ると、江戸時代の町並みが
そのまま残されているところだ

なまこ壁の土蔵や石置き屋根、うだつを付けた町屋造りの家や
上の段用水の水場等、当時を偲ばせる町並となっている

ここから坂を下り、再び上ったところに
木曽福島駅がある


(長野県木曽町木曽福島町



木曽福島駅




JR木曽福島駅は坂の上にあった
線路はこの駅舎より下を走っている

予定より一電車早い15:23発の特急しなの5号で帰途についた

木曽福島駅は、木曽路に入って最初の特急停車駅である
次の停車駅は塩尻である


(長野県木曽町木曽福島町
0610/0611


歩行略図

歩行距離 9.3km
(青線部を歩行)


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作者 Hitosh


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